ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 58(1): 34-39 (2019)
doi:10.11481/topics104

海外留学先から海外留学先から

Narrow down to optimal niche with strong ambition

1慶應義塾大学医学部歯科・口腔外科学教室

2Developmental Biology, Harvard School of Dental Medicine

3Harvard Stem Cell Institute

発行日:2019年6月30日Published: June 30, 2019
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私は今、米国New England地方Massachusetts州の中心都市であるBostonにいます。様々な縁があり、Harvard School of Dental MedicineにあるDevelopmental BiologyのYingzi Yangラボで博士研究員として勤務しています。元々「憧れ」であった米国東海岸での生活ですが、どの様な経緯で今に至ったか、また留学を前に悩んでいる方々に少しでも何かの情報になればと思い、経緯や背景を中心に執筆する事にしました。

大学の研究室やデスクを連日片付け、2018年12月24日に家族で成田に前泊し、家族と食事をし、翌日の出発に備えました。その夜に「明日出発します。夢を叶えてきます。」と年賀状に夢を語り、翌日成田空港のポストに年賀状を投函し、妻と娘に「では、またBostonで会おう。」と約束し、先に私が渡米する事にしました。

もともと海外旅行や英会話には慣れていたつもりでしたが、いざ生活自体を米国に移すと、渡米当初は家族に会いたくて仕方なく、それは辛いものがありました。生活の全てにおいてのセットアップは、思った以上に大変でした。こちらに来て、知人を辿り日本人の方々のサポートもあり、少しずつ現地での情報を取り入れていきました。炊飯器で初めて白米を炊いた時の感動は今でも忘れられません。最初の1~2週間は街の環境や雰囲気をしっかり見て、そこからは大学とアパートの行き来だけの生活に集中しました。私のラボはYingzi Yang博士がPrincipal Investigator(PI)として統括している発生生物学の研究室です。時間規制は特に厳しくないですが、毎週行われるリサーチミーティングと抄読会は非常に意見が飛び交い、「これが本当のミーティングか。」と当初は大変な驚きとショックがありました。

しかしながら積極的な姿勢を見せ続ける事で、徐々に周囲が自分を認め始めてくれた実感が湧いてきました。逆に、依頼された仕事を適当に流し、その結果厳しい指摘があるにも関わらず、それもさっと流し、直ぐに自身の研究に戻る研究者の姿を見た時は、その切り替えの早さやメンタルの強さも生き方の1つであると感じました。

海外に留学する外国人の話を色々聞くと、ただ履歴書に書く事が目的や、多忙な母国の生活からの現実逃避の為に留学を考えている事もある様です。それも1つの考え方なのかもしれません。しかしながら、私はサイエンスを追求するんだという意志で、他と比べる事は忘れました。それは当然であり、仕事に集中するには一番の環境条件である様にも思えました。私はラボで“Craniofacial Stem Cell Researcher”として受け入れられ、こちらの発生生物学のラボ内ではやや珍しい存在ですが、自分の武器である領域を評価してもらいました。まだまだ米国での研究生活は始まったばかりですが、どの様に今に至ったかを、転機をふまえて過去に振り返ってお話ししたいと思います。

1つ目の転機

私は、東京歯科大学在学時に、大学開催の集会で慶應義塾大学生理学教室の岡野栄之先生の講演を聞き、漠然と世界を意識しました。大学を卒業後、直ぐに慶應義塾大学の歯科・口腔外科学教室に入局し、中川種昭先生のもと歯科医師としての人生をスタートし、研修医としての仕事の傍ら、論文などを読んだりしました。2年の研修医生活を終えた私は、悩む事なく大学院博士課程へ進学しました。当時、歯科・口腔外科学教室の大学院システムは各々が基礎研究室の扉を叩き、学内留学する流れでした。もちろん私は、生理学の岡野研究室にお世話になる事になりました。

※1つ目の転機で学んだ事は、やりたい事をするという事です。そのきっかけや出会いはとても大事だという事です。そして世界を常に意識している人達と切磋琢磨する事が重要です。もしやりたい事が不明であれば、前向きにやりたい事に取り組んでいる人達の側にいる事が重要だと思います。そこから多くの事が得られます。

2つ目の転機

当時の私は、単に研究への憧れを持ったのみで、右も左もわからない状態でした。そんな試行錯誤の中でも徐々にデータが出始めました。大学院2年目の秋、臨床の上司が他大学へ移り、その先生が担当していた患者を私が担当する事になりました。研修医を終え1年半しか経っていない私が、大先輩の患者の診療に携わる事は私の大学院生活で一番大きな転機となりました。臨床の中で「基礎研究の最終目標は臨床への応用である。」という事を改めて見つめ直した時期でもありました。夜は毎日研究室に戻り、大学院3年の頃に学位論文を書き始め、幸い大学院4年の初頭には論文が受理されました。

※2つ目の転機で学んだ事は、時間は作れるという事です。これは留学に際して様々な思いに悩んでも、強い意志があれば必ずできるという事にも繋がると思っています。

3つ目の転機

大学院生活を1年弱残し、学位論文が受理され、言わば「時間」ができました。ここで私は、私を必要としてくれる他の先生方の研究の手伝いをする事に集中しました。自分の技術を活かして研究生活を充実させたかった背景がありました。この期間はやればやるほどデータが出る様な時期でした。大学院4年で卒業をする頃、ある考えが浮かびました。「この1年の間に世界で勝負する時間があったのではないか。」という事です。何人かの研究者に相談すると、「早く論文が受理して、大学院講義も終了していたのなら、早く留学すれば良かったのに。」と言われたりもしました。この頃は「いや、実際それは無理だった。」とできない理由を探しました。しかしながら、さすがに「しまった、そうか。」と当時後悔したのも事実です。この頃は研究成果を発表する学会などで切磋琢磨できる友人もでき、留学を経験した友人からもアドバイスをもらったりしました。それをどう現実化するか、いつもそこで止まったまま時が過ぎました。後々わかるのですがこの時期が後に大きな財産となりました。

※3つ目の転機で学んだ事は、当然ですが、周りには様々な意見があるという事です。参考になる意見、否定的な意見、様々だと思いますが、重要なのは自分の軸はしっかり維持するという事です。

4つ目の転機

大学院を4年で卒業し、2017年4月に歯科・口腔外科のスタッフとして採用してもらえる事になりました。これは非常にありがたい話でした。医局員の支えもあり、沢山の事を吸収できた充実した生活でした。偶然この頃、自分にとって気持ちを捧げる様なテーマが見つかりました。これは私にとって非常に大きな4つ目の転機でした。実験の全てを私が担当し、執筆も勿論担当しました。この突破力は、先述した空白の様で、空白でなかった1年間に培ったものでした。厳しい査読に回りましたが、歯科領域で最も有名な雑誌に受理され、これは本当に自信になりました。これは、あの1年間がなければ絶対に達成できませんでした。

※4つ目の転機で学んだ事は、周りが突破できないと判断しても、自信がある時は振り払ってでも突破する姿勢を見せるという事です。そしてそれを自分の意見として丁寧に説明し、交渉し、行動に起こす事です。

5つ目の転機

その2~3ヶ月後、自信に漲っていた私はある先生にメールをしました。Harvard School of Dental MedicineのDevelopmental BiologyでPIとして活躍していたYingzi Yang博士でした。NIHの大型研究資金を幾つも獲得し、物凄い勢いで突き進んでいる、そのような印象でした。またちょうどその頃、Translational Research部門のAssociate Dean、博士課程プログラムのDirectorに着任が決まった頃で、学内でも非常に注目されていました。当時、私が研究していた神経堤由来の間葉系幹細胞が軟組織内で異所性骨化を示しました。ちなみにこれはあの空白の1年間の研究で得た結果でした。それがどの様なシグナルや環境因子で分化成熟していくか、解析が必要だと感じ、Yingziはその分野で非常に注目されていました。数日後返ってきたメールを開けてみると、中にはYingziが私の研究に興味を持っている事、家族のバックアップも含め、3年は来て欲しいという、私にとっては驚きの内容でした。通常、何通もメールしても返って来ないのが普通だと聞いていましたが、私は偶然にも1分の1の確率でした。これまでどう話を進めれば良いかわからなかったものの、進む時は一気に展開するものだな、と実感したそんな瞬間でした。しかしながら、あまりにも大きな話だった為、これまでに相談していた周囲にも改めて相談しました。学会で知り合った友人からは「先方は大型研究資金を幾つも獲得している。こんな千載一遇のチャンスは無い。」と言われ、「人生が動く。」と実感しました。

※5つ目の転機で学んだ事は、縁は大事だという事です。

6つ目の転機

自分の中では決定した留学話。しかしながら、日本国内での立場もあり、何人もの先生に相談しました。私のわがままでもありましたが、周りの先生は理解してくれました。いつも支えてくれている家族も納得してくれました。一見当たり前の様にも思えるかもしれませんが、私の夢を周りが認めてくれた、という事は私にとって非常に大きな出来事でした。

※6つ目の転機で学んだ事は、どんな時でも自信を持って夢を語るという事です。恥ずかしさや、遠慮が理由で語れない夢は夢ではないと思います。必ず周りは理解してくれると信じています。そして真っ直ぐに貫けば、きっと支えてくれます。

0つ目の転機

これは運命だったと思いますが、私は滋賀の田舎育ちで、20歳になるまで電車で県外に一人で出る事ができないほど、世間知らずでした。その反動からか「東京」「世界」に憧れを持つ様になりました。この憧れは留学への大きなモチベーションになりました。

また、高校卒業後は浪人生活も経験し、それによる1年、2年のずれが、大学の入学や、医局への入局、留学のタイミングなど、全てに繋がりました。そしてその中で素晴らしい方々に出会えました。全ての物事がスムーズに進んでいたら、全く違う人生を歩んでいただろうと今は確信しています。

※0つ目の転機で学んだ事は、色々な境遇において運があるという事です。その全ては自分と周りの人達との縁や、環境により収束するだろうとは思いますが、しっかりとした軸がないと周囲に流されると思います。

転機で学んだ事

私にとって、留学への転機は幾つかありましたが、「しまった、これはタイムロスなのでは?」と考えた場面も確かにありました。しかしながら、その際に、その状況でできる事をしっかり実施すれば、必ず周りが支えてくれると実感しました。これから留学を目指している方々には、悩んでいるのであれば留学をお勧めします。「行けたら行きたい。」「行けるかなぁ。」という気持ちで行くと大変な思いをする可能性も高いですが、それでも留学後の経験は何にも変えられないものとして、人生の大きな財産になると確信しています。逆に「自分はこれに集中するんだ。」と強すぎる意志で留学して、少しずれた状況に陥った際、柔軟な考えになれるかどうかも極めて重要だと思います。

私は渡米前に「自分に合わないと思ったら、隣のラボに移るくらいのフットワークの軽さがないとダメ。」と言われた事がありました。「その様な気まずい事はさすがに誰もしないだろう。」と思っていましたが、こちらではそういう研究者も実際存在し、メンタルの強さを知りました。

Bostonでの生活

ラボがあるのはBostonのLongwood Medical and Academic Areaと呼ばれる地区で、Harvard Medical SchoolやDana-Farber Cancer Institute、Beth Israel Deaconess Medical Center、Brigham And Women’s Hospital、Boston Children’s Hospital、Joslin Diabetes Centerなどが一箇所に集結している医療文教地区です(写真1)。私が所属するHarvard School of Dental Medicineもこの地区にあります(写真2)。ラボのすぐ隣の図書館にはThe New England Journal of Medicineの編集本部があり、世界の医療の中心である事を実感します。アパートもこの敷地内にしたため、アパートの窓から外を眺めてみると、そこには明かりが消えない病院や研究施設と常に真隣で、私にとっては夢の様な世界でした(写真3)。部屋からはドクターヘリが離着陸する場面が毎日見られます(写真4)。しかしながら、歩いて5~10分で人間の手が加えられていない自然に囲まれた空間が広がっています。美しい川や大きな芝生が広がった公園があり、カナダグースやリスを見かけたりします(写真5)。またMajor League BaseballのBoston Red Soxで有名なFenway Parkまで歩いて直ぐ行けます(写真6)。Harvard大学のメインキャンパスやMassachusetts Institute of Technology(MIT)があるCambridgeはCharles Riverを渡った向こう岸にありますが、Harvard IDでシャトルバスが無料で乗れるなど、街中が1つのキャンパスの様な感じです(写真7)。

Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 58(1): 34-39 (2019)

写真1 荘厳な佇まいのHarvard Medical School

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写真2 Harvard School of Dental Medicine

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写真3 消える事の無いDana-Farber Cancer Instituteの明かり

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写真4 Beth Israel Deaconess Medical Centerへのドクターヘリの離着陸

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写真5 街中でよく見かけるカナダグースの群れ

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写真6 Green Monsterで有名なFenway Park

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写真7 Cambridge地区からCharles Riverの向こう側に見えるBoston地区

こちらに来て驚いた事は多くあります。Harvard大学が統括する病院は先に書いたように幾つも存在しますが、冬の寒い中でも街中を白衣やスクラブで行き交う人が多いのも特徴の1つです。日本ではまず見ない光景です。ドクターや研究者は自分達の仕事に集中し、また家族との時間を大切にします。特に、Boston公共図書館は外観が非常に厳かですが、中にはキッズスペースがあり、家族や子供達に対する無料の英会話教室や宿題のサポート等が充実しています(写真8)。大学が多くのディスカッションの場やエンターテイメントの場を設けているのも驚いた事の1つです。博士研究員の事務局が開催する定期的なコーヒータイムやムービーナイトと呼ばれる映画会、キャリアプランに関する討論会や、中には給料の交渉術の講義、自分の特技を披露する会などがあります(写真9)。また安全面ではHarvard Policeが常に警備を徹底し、夜間は必要に応じて警備員によるエスコートや、決まった区間のタクシーサービスの利用も可能です。大規模な雪が降る際には、事前に大学のスタッフ中にメールが周り、交通の注意事項などの情報が入ります。こういったサポートはアカデミアで構築されたBostonならではです。

Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 58(1): 34-39 (2019)

写真8 学生や家族連れが集まるBoston公共図書館

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写真9 ポップコーンと地元ビールのSamuel Adamsが提供される大学主催のムービーナイト

こちらでは多くの中国人やその他アジア系の研究者がいます。近年、留学を志す日本人医師や研究者が少なくなっているとよく耳にします。日本国内で十分な研究設備が整っている事もその理由の1つかもしれません。また、島国である日本にとって「海外」というものに対して大きなハードルがあるのかもしれません。しかしながら、海外の生活や文化に触れながら研究をはじめ仕事に携わる事は素晴らしい事だと思います。留学するに越した事はないと思います。これまでに経験した事のない環境や状況に身を置く事で、「無力」と感じる瞬間もありますが、その中で人との繋がりの重要性や日本の素晴らしさも再認識できます。これは日本国内や海外旅行などの短期間の海外生活では感じる事のできない経験だと思います。これをご覧になっている方々の中には留学を志している方々や、それ以外にも様々な状況に面している方々がいらっしゃると思います。目の前に様々な状況やハードル、また過去・未来に転機が存在すると思いますが、どう収束させるかは自分次第だと思いますので、周囲の方々との縁を大切に、「軸」を持って進んで欲しいと思います。

最後になりましたが、本投稿にあたりまして機会を与えてくださった名古屋市立大学医学研究科再生医学分野澤本和延先生、留学に際し、多大なサポートをいただきました慶應義塾大学医学部歯科・口腔外科学教室中川種昭先生、同大学生理学教室岡野栄之先生、芝田晋介先生、Yingziとの出会いを導いてくださったDepartment of Biologic and Materials Sciences, School of Dentistry, University of Michiganの三品裕司先生、慶應義塾大学医学部歯科・口腔外科学教室の先生方、同大学生理学教室岡野研の皆様、いつも厳しくも温かく、サイエンスとは何かを徹底的に教えてくれるYingzi、Yingzi Yangラボのメンバー、そしていつも支えてくれる家族にこの場をお借りして感謝申し上げます。

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