オシャレなジョージタウンでの研究生活
Georgetown University, Department of Biology
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私は現在ワシントンDCのジョージタウン大学(Jeffrey Huang博士)にポスドク留学している山崎礼二と申します。私は2017年10月から渡米しており、仙台で開催された第60回日本神経化学会大会後すぐの留学となりました。留学前最後の参加となったこの大会では多くの先生方に激励のお言葉をいただき、私にとって非常に思い出深い大会となったことを今でも覚えています。それから早いものでこの留学だよりを執筆している現在は渡米して一年半ほどになります。今回、「海外留学先から」を執筆する機会をいただきましたので、この一年半を振り返りながら、これまでに経験したことやジョージタウンでの生活、研究のことについて記させていただきたいと思います。
私が研究留学を意識し始めたのは、薬学部の6年生で博士課程への進学を決めた頃でした。当時の私は研究者になりたいとはずっと思っていたものの、正直研究者としてやっていける自信がありませんでした。そんなとき当時のメンターであった馬場広子教授(東京薬科大学)に背中を押されて進学を決意致しました。それ以来、博士号取得後は研究留学することを夢見て研究に励みました。私が博士号取得後すぐに留学しようと思った理由は、もともと英語が得意ではなかったこともあり、今後研究者として生きて行くには留学経験が必要不可欠と感じたからです。また、若いうちに海外の研究スタイルを学び、海外にも人脈を広げることで、国際的視野に富んだ研究者になりたいと思ったため博士号取得後の早い段階で留学することを決意致しました。そこで、博士課程が終盤に差し掛かったころから興味のある研究室にメールとCV(履歴書)を送り始めました。真っ先にメールをしたのは、研究を始めた頃からずっと憧れていた故Ben Barres博士でした。アメリカとは時差がかなりあるにもかかわらず、Barres博士からは一時間後に返信をもらい、博士の病気について伝えられると同時に、興奮した様子で弟子が新しく立ち上げるラボを勧められました。実際彼がBarres博士のラボで行ったオリゴデンドロサイトのミエリンラッピングに関する論文にかなり興味があったので、彼の新しく立ち上げるラボに行きたいと思いました。また、Barres博士の紹介だから採用してもらえるものと期待していたところもありました。その後、メールのやり取りを経てSkype面接をしたのですが…初めてのSkype面接は散々なものでディスカッションが深くなるにつれて質問が理解できなくなり、結果は不採用。そのとき彼に言われたのは、アメリカでポジションを得るには英会話をもっと練習した方がいいと言われてしまいました。その後も留学の夢を諦めずに10通近くメールを送り最終的に計5人のPIとSkype面接をしました。その結果、現在のJeffrey Huang博士のラボに縁がありました。
私が現在のラボを選んだ理由は、ボスの人柄です。おそらく研究留学する日本人の多くがボスの人柄を重視した、と口を揃えると思いますが、私も一番に人柄を重視しました。また、今のボスは関連分野における世界的に有名なラボの出身であったことに加え、給料を最低でも3年は保証すると言ってくれました。おそらく留学中に経済的な不安があると研究に集中することも難しくなるかもしれないと思ったので、とても安心したことを覚えています。他には留学先となるワシントンDCの治安や交通機関の便利さなども考慮しました。
また、Huang博士とのSkype面接は非常に印象に残っていて、2時間以上にわたるSkype面接だったと思います。こちらの研究プレゼンと質疑応答が終わった後には、Huang博士の行っている現在のプロジェクトについてスライドを使ってプレゼンしてくれました。その後は、日常会話やアメリカにいつから来られるかなど具体的な質問をしてもらい、面接中にはすでに彼のラボに行くことを確信していました。一筋縄では行きませんでしたが、こうして留学先が無事に決まりました。留学先が確定するまでは、この先自分はどうなるんだろうかと不安な気持ちもありましたが、振り返ってみると街はおろか国まで選ぶことができたので、興味のある研究内容はもちろんですが、それ以外にも住んでみたい場所や留学中の生活などを想像して、楽しみながら留学先を探していたように思います。そして、計5回のSkype面接を通して精神的にもだいぶ鍛えられたと思うので、今思えばとてもいい経験ができたと感じています。Skype面接をしてくださったPIにはいつの日か学会等でお会いする機会がありましたら、面接時より上達した英語で挨拶をしてみたいと思います(笑)。
私が現在留学しているジョージタウンはワシントンDCの西部に位置し、全米でも非常にオシャレな高級住宅街として有名です。また、ワシントンDCという立地からジョージタウン大学はクリントン元大統領など多くの政治家も輩出しており、政治や外交関係の分野では特に有名な大学です。メディカルスクールの伝統も長く、ガンや神経系のラボは非常に多く、活発な研究活動が行われています。大学の雰囲気も非常によく、正門をくぐるとすぐにハリーポッターに出てくる魔法学校のような建物を見ることができます(写真1)。毎日このようなオシャレなキャンパスで研究できていることに幸せを感じる日々です。また、ワシントンDCのダウンタウンにはホワイトハウスはもちろんのこと、アメリカ連邦議会議事堂やワシントンモニュメント、さらにスミソニアン博物館は無料で開放されています。車を持ちたくなかった私にとってはメトロ(地下鉄)やバスが便利なのはとてもありがたく、魅力的な都市だと感じています。ワシントンDC周辺にはNational Institute of Health(NIH)をはじめジョージワシントン大学やNational children’s hospitalもあり、関連分野における著名な研究者もいます。そのため、それらの研究者ともディスカッションをすることや共同研究を組むことも可能となっているので、とてもいい環境で研究させていただいております。また、NIHには日本人研究者も多いため、異なった研究分野の知り合いができただけでなく、様々な悩みを相談する友人もできましたし、ワシントンDCには研究者以外にもいろいろな業種の日本人が駐在や留学をしています。そのため、季節ごとに開催される大規模な異業種交流会を通じて幅広いネットワークを作ることも出来ています。
渡米直後、アパートを借りるまでの間は幸いなことに同僚の家へ居候させてもらったのでとても助かりました。これは、留学先が決まってから渡米までの間に、American Society for Neurochemistry(ASN)の学会でボスとその同僚と直接会った際に、同僚から提案してくれたという経緯があり、同僚にはとても感謝しています。これから留学を考えている方は、もし可能であれば事前にボスやラボメンバーに直接会っておくのが良いと思います。
その後の手続きとしては、アパート契約、銀行口座の開設、保険や税金の手続きなど生活のセットアップに加え、アニマルプロトコールやラボラトリーセーフティーの講習や試験などがあり、とても苦労しました。そのため初めの二ヶ月くらいは全く実験ができませんでしたが、三ヶ月目くらいからやっと自分の研究を始めることができました。とにかく苦労した記憶しかありませんが、すべての手続きを終えて実験を開始した時は開放感とともに実験できる喜びを感じたことを覚えています。
現在所属しているHuang博士の研究室では、多発性硬化症の治療法開発を目的に様々な視点から研究を展開しております。これまでにいくつか治療に繋がりそうな候補化合物を同定しており、興味深い成果をあげております。また、新たなMethodや病態モデルの開発などにも積極的に取り組んでおり、彼のアイディアや発想にはいつも驚かされています。最近はディスカッションの頻度が減ってきましたが、留学中に少しでも彼から多くのことを吸収できるように、積極的に自分からディスカッションをしに行くようにしています。
実験をはじめたばかりのころは、早くボスとラボメンバーから信頼を獲得したいと思い、必死に実験しました。慣れない環境で新しい研究を始めるのはとても苦労しましたが、ラボを移ること自体がはじめてだった私にとってはとても良い経験になりました。はじめはうまくいかないことも多く、落ち込みがちでしたが、ボスがいつも去り際に「Don’t worry! Have fun!」と言ってくれていたのを覚えています。彼のように明るくポジティブに研究を進める姿勢を見習わないといけないと感じました。英語でのコミュニケーションにはまだまだ苦労していますが、自身の研究アイディアや仮説についてボスやラボメンバーに説明すると、的確なアドバイスや意見をもらうことができており、ボスをはじめラボメンバーにはいつも感謝しております。また、だれかが面白いデータを出すと、ボスがみんなを集めてディスカッションが始まります。このような環境下でポスドク中のトレーニングを積めていることは、今後の研究人生の財産になると思います。
留学にトラブルはつきものだとは思いますが、この一年半の間に私の身に起こった事件についても振り返りたいと思います。思い返すと研究関係やアパート関係など多くのトラブルに見舞われて心が折れそうになったことが何度もありましたが、幸い銃撃事件や命に関わる事件には遭遇していません。その中で特に印象に残っている事件について一つ紹介したいと思います。
ちょうど私がジョージタウン大学に移ってから8ヶ月ほど経ったある日、ボスが深刻そうな顔をしてラボメンバー全員に、ボスの部屋へ集合するよう呼びかけました。そこで、衝撃の事実を知ることとなりました。「テニュア(終身雇用)の審査に落ちた。一年以内にここから出ていかないといけなくなった。申し訳ない。」とのことでした。私が留学したラボはジュニアファカルティーと呼ばれるテニュアを獲得する前のラボでした。私が入った時点で独立して5年目と若いラボだったことから、ラボがなくなる可能性もあることは承知していましたが、最近独立してからの論文が出始めていたことやグラントがいくつか取れていたことから、まさかテニュアの審査に落ちるとはだれも予想していませんでした…。そこからはボスの次のポジション探しと同時にもう一度だけジョージタウン大学でテニュアの再審査を受けるにあたり、ラボメンバーが一丸となってデータ集めやボスのサポートをすることで団結力が生まれたのを覚えています。幸いその直後にRO1と言われるNIHの大型グラントとボス自身がNational Multiple Sclerosis Societyから若手PIに送られる大型のFellowshipを獲得したことから、テニュアの再審査は問題なく通過しました。また、その後は他の大学からもファカルティーのオファーを獲得しましたが、ラボメンバーみんなで話し合ってジョージタウンに残ることになりました。
一難去ってまた一難。思い返すと次から次へといろいろなトラブルや事件に見舞われましたが、とても充実した留学生活を送っております。最近では少しのトラブルでは動じなくなり、精神的にもだいぶ鍛えられように思います。様々な事務手続きがいい加減だなぁと感じるときやアメリカナイズされた日本食を食べた時も「アメリカだから仕方ないか。」と思えるようになりました(笑)。研究以外にも海外の文化を学ぶことは留学の醍醐味の一つだと感じています。気分転換をしたい時には、アメリカで出来た友人とオシャレなジョージタウン大学でテニスをしたり、シアタールームで映画を見たりしています。また、アメリカで知り合った友人とバンドを組み、たまにですが音楽活動もしています。これまでの留学生活を振り返ってみると、月並みですが、研究留学が自身の視野を広くしてくれたと実感していますし、研究者としても人間としても成長させてくれていると思います。
最後になりますが、今回「海外留学先から」を執筆する機会を与えて下さいました澤本和延先生、博士号取得までご指導いただいた東京薬科大学馬場広子教授、山口宜秀准教授をはじめこれまでご指導いただきました諸先生方、留学を支援してくださった先進医薬研究振興財団に厚く御礼申し上げます。今現在は帰国の目処がまだ立っておりませんが、海外での研究生活に悔いが残らないように精一杯努力して、いつか最高の留学生活だったと胸を張って帰国したいと思います。
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