ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 59(1): 7-8 (2020)
doi:10.11481/topics119

研究室紹介研究室紹介

岡山大学 大学院医歯薬学総合研究科(医学系)組織機能修復学分野

発行日:2020年6月30日Published: June 30, 2020
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本分野は、2016年4月に大学院医歯薬学総合研究科(医学系)に新設され、分野主任として宝田が独立准教授として着任した。着任から4年が経過し、現在は助教2名、大学院生7名(博士5名+修士2名)、医学部生1名、学生アルバイト3名にて構成されている。岡山大学には津島/鹿田の2つのキャンパスがあり、幣分野は大学病院を擁する鹿田キャンパス内の管理棟7階に研究室を置いている。管理棟は8階建てで、1から4階までが学務・総務などの事務、5階が総合内科医局、6階が神経内科医局、8階が小児神経科医局、7階の同フロアには、臨床研究開発センター/橋渡し支援室がある。臨床系の先生方の中に基礎系の私の研究室がポツンとある配置になっている。環境が人を作るというが、今までの研究環境と全く異なる現在の職場が、臨床の先生方との共同研究をはじめ、研究の方向性に大きな影響を与えている。

4年生の研究室配属にて恩師である米田幸雄先生が主宰される金沢大学薬学部薬物学研究室に配属されたことが、私の研究活動のスタートとなった。それからは修士、博士、教務職員、助教とキャリアを重ねさせていただき、米田先生の退官がきっかけとなりJREC-INでの公募で今の職を幸運にも得ることが出来た。公募されていた組織機能修復学分野の目指すべき方向性は、『各種難治性疾患における組織・機能の維持・修復、組織再生等に関する有効なシーズの開発』と設定されていた。この情報から考えるに、基礎医学に関することであれば、研究テーマに関しては何の制限もないと考えることができるだろう。しかし、ラボの英名を考える必要性に直面し、何がよいだろうと考えた私は、Department of Regenerative Scienceと設定してみた。思えば、これが独立後の研究の核となる、「再生・幹細胞」という方向性を決定づけた、と今更ながらに気が付いた。

独立後は、自身の研究室、広い居室、何を決めるにしても誰の許可もいらない自由な環境があった。なんと幸せなことだろうと、恩師に勧められアカデミアに入り今のポジションを得られた幸運を唯々噛みしめていた。しかし元来の心配性がすぐに顔を出し、どうやって一から前と同じ研究環境を作るのか、研究費はどうする、医学系の独立ポジションをとれた私はどのように本学に貢献するのか、4年後のテニュア審査をどうやって乗り切るのか、途端にしんどくなってきた。単身赴任生活では家族との交流のタイミングが合わない時もあり、一人暮らしの寂しさや仕事面でのストレスから、1–2か月したころには、しばしば恩師・先輩に電話でお話をさせていただいていた。

朝から晩まで広い居室に一人いる生活では、誰ともほとんど話さない時間が多く、深い思考ができた。研究者として何を為すか、65歳の退官までの間に何をしたいのか、どのような研究者人生を過ごしたいのか、ロールモデルとなりうる色々な研究者のHP・ブログを読み、次の一手を考えた。そこで考えたことが、3本の矢と呼んでいる私の研究戦略である。一つ目の矢は、金沢時代からすこしずつ積み重ねていたMouse geneticsを利用した間葉系幹細胞に関する仕事。二つ目の矢は、幹細胞生物学の「階層性・系譜」のモデルを利用することで、ヒトのボディプラン(形づくりの設計図)の動作原理をシステムとして統合的に理解し、ヒト多能性幹細胞(ES/iPS細胞)を用いて再生医療・創薬研究、がん研究などの幅広い医学応用を目指すこと。そして三つ目の矢が、独自の研究ツールの開発(=個体レベルでの、光技術によるシングルセルレベルの時間空間的遺伝子組み換え技術の開発)である。

一つ目はきっとここで説明しても面白くないので割愛する。二つ目は、私自身が薬学出身だからだろうか、一つ目の矢の仕事で自身の注目していた間葉系幹細胞populationを自身で作り出したい、しかも美しく(=発生過程を模倣して)と考え、京都大学-岡山大学間の移動が2時間を切れることを知った私は、iPS研の戸口田淳也教授に学会講演後直接お願いをして研究員として受け入れていただいた。岡山–京都を往復する1年間半は、金沢時代の米国への海外留学以上に密度の濃い、大変有意義な時間であった。特に、その折に知り合えた研究者仲間は、親友であり、現在進行中の研究での親密なコラボレーターである。三つ目の矢であるが、新しい学問領域を創成するようなTOP研究者は、概してコアとなる研究ツールを独自で開発している(ことが多い気がする)。私もできることならばもちろんそのようになりたいので、失敗してもいいから何かオリジナルの研究ツールを持ちたいと考えた。それが三つ目の矢を放ったmotivationである。

この四年間は、多くのしくじりもするし、心折れそうになる事件は数えきれない。しかし、自身の成長実感は今までになく感じられるし、多種多様な個々人のspecialityが高度なレベルで交じり合い、リスペクトしあえる環境で研究できる多幸感は何物にも代えがたい。私は研究者になってよかった。今後は、これまで自分の受けたものを、若手育成などを通じて還元していきたいし、それを通じながら自身も成長してきたい。

最後に、このような執筆の機会をいただいた竹林浩秀先生に心から御礼を申し上げます。また、現在に至るまで私を導いてくださった米田幸雄先生には、この場をお借りして再度厚く感謝と御礼を申し上げます。

Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 59(1): 7-8 (2020)

ラボのメンバー写真(右端が筆者)。最近はコロナで集まれておらず写真が半年ほど前のものになっている。新しい助教の先生(髙尾知佳先生)も最近参画いただいた

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