神経化学 Bulletin of the Japanese Society for Neurochemistry

ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
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Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 59(2): 70-71 (2020)
doi:10.11481/topics136

私と神経化学私と神経化学

研究はつくづく楽しい

1九州大学 理事・副学長

2日本神経化学会名誉会員

発行日:2020年12月30日Published: December 30, 2020
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私がはじめて研究の世界に触れたのは九州大学薬学部4年次に(故)植木昭和先生の薬理学教室に配属されたときでした。「薬がどのようにして効くのかを研究するのが薬理学である。薬の化学的特性から効果まで、そして生体のことをよく知っていないとだめばい。」と教えられた(ような)気がします。生体のことを知るとは、生命現象の仕組みを読み解くことであり、生命が情報伝達物質という化学物質を使い、生体の様々な作用点(細胞表面の受容体、細胞内の酵素、等)に働きかけ、生体を恒常的に動かしていること、その恒常性が何かの理由で破綻すると病気になり、薬は生体が本来持っているシステムを利用して、その恒常性を回復し、病気を治すのである、などと教わったはずです。

さて、植木先生の講座では行動薬理を標榜されていて、私のテーマは抗うつ薬の作用機序を明らかにするというものでした。薬理学を研究の土台にした私は、化学物質が生体を構成し、その生体を動かすために生体内情報伝達物質として働くことを当たり前として感じていて、心の動きや脳の働きも化学物質の痕跡として表現できるかもしれないと思いました。当時(半世紀前)、うつ病はアミン仮説により説明されていて、抗うつ薬はシナプスの神経細胞終末から放出された神経伝達物質カテコールアミンやセロトニンのリアップテイクを阻害しシナプス間隙の濃度を高めて、それらの効果を増強するために抗うつ効果を発揮するとされていました。それでも分からないことが多くて、そのメカニズムを動物実験で調べようというものです。3年間やってみて、結局、「そう思う」という結論しか出せず、もっと真実に迫る実験手法が必要だと感じました。

その後、ずっと時が移り、1980年代初期に培養神経細胞を使う実験系が注目され、私は当時の金沢大学医学部の東田陽博助教授を訪ね、NIHニーレンバーグ先生ラボ直伝の培養技術を教わりました。また、当時の東京都神経科学研究所の黒田洋一郎先生のラボで更に研鑽を積み、勤め先の国立衛生試験所(現・国立医薬品食品衛生研究所、当時は世田谷区のサザエさん通り近くにありました。)に培養装置を導入することができました。電気生理学的実験装置、細胞染色技術、細胞内カルシウム測定装置などを少しずつ加えていき、いつのまにか、優れた若者が集まる研究チームを持つようになりました。その中には、いつもブツブツ文句の上野伸也博士(現・弘前大学医学部教授)、九州の田舎から犬を連れて出てきて私を本当に困らせた小泉修一博士(現・山梨大学医学部薬理学教室教授)、誘ってもいないのにチームに入らないよと言いに来られた津田誠博士(現・九州大学薬学研究院教授)、いつも元気な今泉美佳博士(現・杏林大学医学部教授)、そのほか篠崎陽一君(現・山梨大学医学部薬理学教室講師)、斉藤英俊君(現・九州大学薬学研究院准教授)、重本ゆかりさん、学生の溝腰朗人君、藤下加代子さん、国房恵巳子さん達がいました。

その頃、私たちは日本神経化学会に出入りするようになりました。当時の学会は、キメラやIP3で飛ぶ鳥を落とす勢いの御子柴先生や、脳移植やミクログリアできらめいていた高坂先生や、ムサシの岡野先生など慶応大学関係者が印象的でしたが、学会に参加するにはかなりボリュームあるしっかりとした要旨(論文に近いもの)が必要でしたし、リジェクトされる事も結構多かったと聞いています。ですので、学会は真剣道場みたいなもので、下手をすると高坂先生から無礼者と切りつけられるような雰囲気がありました(と思います)。しかし、討論も充実していて、学会に出て良かったという印象を毎回持って帰ったものでした。

研究内容は、神経細胞やグリア細胞系でのATP受容体の生理機能についてであり、基本は神経化学・神経薬理ですが、行動薬理から遺伝子解析までをツールとしていたために、研究対象は丸ごとの動物から細胞まで広く興味の赴くままでした。私は一生懸命研究費を稼ぎ、私より実験が上手な若手に自由にやってもらっていました。みんなそれぞれにこれは自分自身の研究であると思い、しっかりと納得いくまで研究を深化させていたように記憶しています。そして当時の情熱がNature誌への2論文につながっていきました(それぞれの論文にはとてもおもしろいエピソードがあるのですが、誌面の関係上書けません)。上記の論文はミクログリアに関するものでしたが、ミクログリアに関しては高坂新一グループのご指導とご協力をいただきました。そのご縁が今でも続いております。

さて、日本神経化学会とのなれそめは1991年評議員拝命でしたが、その後、理事、副理事長、理事長、2010年大会長(Neuro2010として神経科学会との合同大会)など、いろいろとご縁をいただきました。私が執行部に関与した時代、会員が急激に増えた神経科学会とは対照的に、神経化学会は会員が漸減しつつあり、理事長として何をすべきかと考えた末、評議員の定員を増やし、神経化学会のキャッチフレーズを「神経・グリア・病態」とし、化学物質から病態を解明し、もって生命現象をひもとく学会という位置づけを明確にしました。2010年にNeuro2010として神経科学会との合同大会を主催したときに感じた思いを表現できたと思います。そして、本学会は、討論に時間を割き、その討論を通じて若手を育成するという方向性を明確にしたつもりです。この学会があって良かったというご意見を臨床系の先生方からもいただいていました。この流れは今も生きて有効に働いているものと信じています。

最後に:碩学諸先輩の寄稿文を拝読すると、優れたご見識で当初から戦略的に神経化学をサイエンスされていて、深く感銘を覚えました。我が身を振り返ると、同列で寄稿することをためらいましたが、その時折の興味だけで生きてきた人間でもそれなりに楽しい研究人生を歩めるという例示となり、将来への不安をもつ若者に幾ばくかの勇気を与えることはできそうと思い書かせて頂きました。

(2020年7月原稿受理)

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