デンマーク・オーフス大学より
DANDRITE, Department of Biomedicine, Aarhus University, Aarhus, Denmark
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「海外留学先から」執筆の機会をいただきましたので、デンマークでの研究生活についてご紹介いたします。
私は、修士課程、博士課程、および2年間の博士後研究員の計8年間、新潟大学脳研究所の﨑村建司先生のご指導のもと分子生物学、生化学、行動薬理学等を学びました。グルタミン酸受容体デルタ1型サブユニット(GluD1)欠損マウスの解析から、GluD1欠損によりうつ病様行動が亢進し、さらにその亢進はセロトニン再取り込み阻害剤によって回復するという予想外の結果を得ました(Nakamoto et al., PLOS ONE, 2020)。しかし、その神経回路基盤や、詳細な分子機構を解明するためには、様々な実験手法を統合的に適応する必要があることを痛感しました。崎村先生に相談したところ、デンマーク・オーフス大学の竹内倫徳先生を紹介して頂きました。竹内先生の研究室では、心理学をベースにした緻密な行動解析と分子生物学、光遺伝学、形態学、薬理学、脳内イメージング等の様々な実験手法を駆使して、日常の記憶や知識の記憶についての神経回路・分子機構の理解を目指して研究を行っています。このような複合的な実験手法を組合せた研究戦略に魅力を感じ、竹内先生の研究室に留学する事を決めました。
「晩ごはんにどこで何を食べたか」といったささいな日常の記憶は、海馬と呼ばれる脳の領域に形成され、その多くは1日のうちに忘れさられることが知られています。一方で「晩ごはんに行く途中に、学生時代に好きだった人に偶然出会った」など新奇で思いがけない出来事(新奇な体験)は、ささいな日常の記憶を長期間忘れない記憶(長期的な記憶)に変えることができます。竹内先生らは、新奇な体験をした時に「青斑核」と呼ばれる脳の領域から海馬に「ドーパミン」が放出されることで、通常忘れさられる日常の記憶から長期的な記憶が形成されることを発見しました。しかし、青斑核のノルエピネフリン作動性神経細胞から海馬へのドーパミンの放出は、全く新しい脳内化学物質の放出機構で、その放出の動態、および分子機構は不明です。
私は、竹内先生の研究室にて、新奇な体験をした時の青斑核から海馬へのドーパミンの放出の動態、およびその分子機構を明らかにすることを試みています。まず、ドーパミンを可視化するためにドーパミン蛍光バイオセンサーを作成しました(Nakamoto et al., Molecular Brain, 2021)。現在このようなドーパミン蛍光バイオセンサーと脳内リアルタイム光計測法を組み合わせて、新奇な体験をした時の青斑核から海馬へのドーパミンの放出の動態を調べています。さらに詳細に青斑核から海馬へのドーパミンの放出の動態を調べるために、ドーパミン蛍光バイオセンサーを発現させた海馬のスライス標本を作成し、青斑核の軸索を光遺伝学的に活性化させ、2光子顕微鏡での観察を試みています。日常の記憶や知識の記憶の神経回路基盤や分子機構の理解が進む事により、老化に伴う記憶障害等の治療に繋がると考え、ラボメンバーとともに、日々研究に励んでおります(写真1、2)。
デンマーク・オーフス大学は、1928年に設立されたデンマークで2番目に古い大学です。大学の規模はデンマークで最も大きく、学生数は38,000人ほど在籍しているそうです。大学の敷地は広大で、芝生や池、森など緑豊かで水鳥も多く、レンガ造りの建物が並び、美しい光景が広がっています(写真3)。研究室の所属する、DANDRITE(Danish Research Institute of Translational Neuroscience)研究所は、オーフス大学とデンマークのLundbeck財団とが共同で2013年に設立した比較的新しい研究所です(写真4)。
DANDRITE研究所は、共同研究を推進する非常に風通しの良い研究機関で、世界中から神経科学の研究者が集まり、活発な共同研究が行われています。研究所主催のイベントも多くあります。例えば、2週間に1度のインターナルミーティングでは、コーヒーやパン等が用意され、各研究室の研究発表を聞きながら朝食を食べるというアットホームな雰囲気が漂います。また、リトリートでは、職員・学生が泊りがけで出かけ、研究発表だけではなくゲームや、グループディスカッションなどがおこなわれます。他にも、クリスマスのドアデコレーションコンペ(写真5)、クリスマスマーケット等の名所に行くGet together、真冬の海でのオイスターピッキング(写真6)、金曜に大学内のバーに行くフライデーバーなどがあります。はじめは研究所のイベントの多さに驚きましたが、異なる建物で研究する人と知り合うきっかけになり、研究のディスカッションや、共同研究への発展といった横のつながり強化に非常に効果的であると感じます。
デンマーク・オーフス市は、コペンハーゲンに次ぐデンマーク第二の都市です。人口約34万人のコンパクトな街で、歩いて市街地や森や海や公園に行けますし、バスや電車も普及していて住みやすいと思います(写真7)。デンマークの人々は子供からお年寄りまで英語が堪能な人が多く、穏やかで親切で、日常生活で困ることがほとんどありません。また、研究所に限らず、大学のメールは、デンマーク語と英語が併記されています。政府や請求書などの書類はデンマーク語ですが、電話やメールで聞くと英語で対応してくれるのでとてもありがたいです。デンマークは、電子化が非常に進んでおり、行政や大学の書類はすべてデジタル書類で届くため紙の書類を見ることはほぼありません。また、カードやモバイルペイが普及しているので現金を使うこともほとんどありません。さらに、コロナパスや医療カルテの確認、医者の予約、銀行口座の管理などは、CPRナンバーという個人番号で一括管理されており、パソコンや携帯から各アプリにCPRナンバーでログインするシステムで、とても便利に思います。
私は、留学して最初の8ヶ月間は、博士課程の学生や博士後研究員のために大学が提供しているインターナショナルドームと呼ばれる寮に住みました。コロナ渦のロックダウン中は、寮生の半数が母国に帰省していましたが、残った人達と共有キッチンでご飯をシェアするなど、家族のような交流ができました(写真8)。生活面で留学前と変わったことは、自炊回数の増加です。デンマークでの外食費は高いうえに、日本のコンビニや居酒屋、食堂のような場所が少ないです。さらにコロナ渦のロックダウンでレストランも閉まり、自分たちでご飯を作るしかありませんでした。生食用のサーモンやマグロを買い、人生で初めて作ったお寿司は好評で嬉しかったです(写真9)。
デンマークに来て3年目を迎えました。留学してよかったと思うことは2つあります。1つ目は、国際的な人脈の広がりです。デンマーク人のみならず様々なバックグラウンドを持つ人々と出会い、より多くの文化や価値観を知ることができたと思います。同じ宗教や言葉を話す人でも、住む場所が違うことで異なる文化や価値観を持つことを目の当たりにし、世界地図がより身近になりました。何か相談をした際に、様々な視点から意見が聞けることで、思ってもみなかった結論が導かれることもあり、多様性の重要性を実感します。留学によって知り合った多くの人々は、研究者としてはもちろん一人の人間としてかけがえのない人生の財産になると思います。2つ目は、コミュニケーション力(英語力および会話力)の向上です。デンマークに来る以前は、英語の読み書きも不十分に思え、とても不安でしたし、留学直後は言いたいことが英語で出てこない、英語のアクセントが人によって異なるため聞き取りが難しいなど、意思疎通に困ることが頻繁に起こりました。しかし、英語を使う頻度や時間が長くなるにつれ、理解力や会話力が向上していることを実感しておりますので、日々使い続けることが重要なのだと思います。現在も英語は辿々しいと思いますが、特定の英単語が出てこないときに類語や他の表現に変えることができるようになり、伝わるスピードが向上したように思います。そして、会話で伝わらなかった際に、文字や画像、ジェスチャーでとにかく表現する、わからなかったらもう一度聞く、このような会話力も留学によって鍛えられたのではないかと思います。
研究留学したい方へ伝えたいことは、早めにフェローシップの応募要件を調べておくということです。デンマークやヨーロッパで申請できるフェローシップ(Lundbeck、Marie Curie、海外学振等)は、PhD取得後4–5年以内であること、デンマークやヨーロッパに入国して1年以内の外国籍の人といった応募制限があります。そのため、海外留学を考えている方は、行きたい研究所や国で、どのようなフェローシップやサポートがあるのか調べる、現地にいる人にコンタクトを取って聞くなどして早めに情報を得るとよいのではないかと思います。
今後の目標としては、in vivoイメージングや顕微鏡イメージングにおいて、最適な画像処理およびデータ解析をおこなうために、プログラミングも含めたデータ解析をさらに学びたいです。また、日夜開発が進むバイオセンサーやオプシン等、数多くの科学技術について、常にアンテナを張り、必要であると判断すればすぐにその技術を取り入れる、専門家とすぐにコラボレーションできる瞬発力を鍛えたいと思います。将来的には、動物の行動解析に加えて、脳内の神経活動をフォトメトリーやイメージングなどによりモニタリングすることで、神経回路・分子レベルでの記憶の形成機構を明らかにできるindependent researcherを目指したいです。そしてその研究成果を論文等で発表することで、日本および世界の科学コミュニティに貢献したいと考えます。
この留学記が、海外研究生活を考える方々の参考になれば幸いです。
今回執筆の機会を与えてくださった滋賀医科大学 等誠司先生、自治医科大学 山崎礼二先生、博士号取得や留学をサポートししてくださった新潟大学脳研究所 﨑村建司先生、ドーパミン蛍光バイオセンサー開発に際し、共同研究者として私の滞在を受け入れ、ご協力してくださった基礎生物学研究所 青木一洋先生、深田正紀先生および深田優子先生に感謝申し上げます。竹内倫徳先生およびラボメンバー、留学先で出会った友人、いつも支えてくれる家族に感謝申し上げます(Mange tak! Many thanks!)。
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