ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 61(1): 32-38 (2022)
doi:10.11481/topics171

海外留学先から海外留学先から

米ジョージア州オーガスタ市での研究生活

Department of Neuroscience and Regenerative Medicine, Medical College of Georgia, Augusta University

発行日:2022年6月30日Published: June 30, 2022
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はじめに

私は米ジョージア州オーガスタ市所在のジョージア医科大学(母体は近年新編成されたオーガスタ大学)に博士研究員として勤務している渕上孝裕と申します。渡米したのは2019年12月下旬のことでした。当時、中国やアメリカの大都市で感染症が流行っているらしいとの情報は目にしておりましたが、ここまで大きな世界的混乱に発展するとは予想すらしておりませんでした。現在渡米して二年半程になりますが、この度「海外留学先から」を執筆する機会を頂きましたので、当地におけるこれまでの生活や研究についてお話したいと思います。

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写真1 MCGの新校舎

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写真2 Yu labが入居するビル

留学までの経緯

私は海外留学への憧れは元々持っておりましたが、数度の米国での学会参加を経て海外留学への思いはつのっていきました。そして2019年、糖鎖研究の第一人者であるRobert K. Yu教授(ジョージア医科大学)がポスドクを募集しているとの情報を滋賀医科大学・等誠司教授からいただきました。そこでここ十年くらいのYu labの論文に目を通し、研究内容が筆者の興味と合致することを確かめました。また、オーガスタ周辺の治安や生活コストなども調べました。その後Yu教授とコンタクトを取り、一時間程Skypeでの面接を受けました。面接にはYu labの糸数裕上級研究員が立ち会って下さり、英語でのやり取りに行き詰まると翻訳して助けて下さいました。Yu labでは神経疾患や成体脳神経新生について研究を進めたいので、マウスを用いた研究ができる人を探しているとのことでした。Yu教授の往年の研究は化学寄りであったこともあり、研究員を募集した当初は化学専門の方からのオファーが相次いだそうです。終始穏やかな雰囲気の中で質疑が行われ、最後にはYu教授から“Do you play golf?”と尋ねられたのを今でも覚えています。それから3–4ヶ月ほど経って、日本を離れました。

渡米直後は大わらわでした。生活のセットアップや雇用手続き、社会保障番号の取得、保険への加入はもちろん、大学で研究活動をするためには連邦政府や州、大学が定めた規定をOnlineで学習し、最後には問題に解答しなくてはなりません。試薬や生物試料、飼育動物の管理、あるいは職務規定など内容は多岐にわたります。また、こちらの事務は日本ほどきっちり仕事をしてくれません。メールよりも電話をしたほうが動いてくれることもあります。ただ、この電話が厄介でした。ただでさえリスニングに慣れていないのに電話口の声はくぐもって聞こえますし、南部訛は日本人にはかなり厳しいものがあります。結局、重要な電話はほぼ糸数先生に立ち会っていただくことになりました。

ジョージア医科大学(Medical College of Georgia)について

私が勤務することになったジョージア医科大学は、1828年創立の比較的古い大学です。地元の人からはMCGと呼ばれています。ジョージア州唯一の公立医科大学であり、広大なキャンパスにはMCGや付属病院の他に、Dental College of Georgia, College of Nursing, College of Science & Mathematics、そして私が所属するDepartment of Neuroscience & Regenerative Medicineなど多くの校舎や研究棟が併設されています。

ここで、約200年に及ぶMCGの歴史の中で、興味深いエピソードがあるので紹介させていただきたいと思います。

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写真3 閑静なオーガスタ市郊外に佇む旧MCGビル。現在は学位授与式やイベントなどに利用されている

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写真4 Harris氏の功績を称えるモニュメント

1989年、旧MCGビルのリノベーションを進めていた建築現場の作業員が、ビルの基礎部分に多くの人骨と解剖道具が散乱しているのを発見しました。調査してみると、約1万体分の人骨が出てきたのです。検死官はすぐに、これが最近埋められた人骨ではないと見抜きました。実際のところ、これはMCGの隠された歴史の遺物だったのです。1835年から1913年まで、MCGは598 Telfair街に煉瓦造りの校舎を構えていました。その間、MCGの従業員が墓地からご遺体を発掘し、解剖学教室に運び入れていました。解剖されるまで、ご遺体はウィスキーで保存されていたそうです。この遺体運びに関わった人物の一人に、Grandison Harrisという元黒人奴隷がいました。彼はその仕事をこなすために、地元の葬式の日程を知ることができるように読み書きを教わり、50年近くにわたってご遺体を墓所から掘り起こし、MCGの解剖学教室に提供し続けました。当時であっても明るみに出れば大問題でしたが、一方でそうでもしなければ解剖学教室を維持することも困難でした。MCGはそのような彼の功績を認め、新キャンパスにモニュメントを建造しています。今もYu labが入居する建物のすぐ傍らで、ひっそりと過去の記憶を留めています。

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写真5 Robert K. Yu教授。POP Walkにて

Yu labでの活動

現在、Yu labはYu教授、糸数裕上級研究員、私、テクニシャンの4名で構成されています。この規模では学生を取るのも厳しいので、糸数先生と筆者の2人だけでほぼ全ての実験・解析を行っています。

ここで現在行っている研究は、私が着任する前後から始動したものばかりです。なので、うまくいくのかどうかよくわからないという手探りの状態で実験を始めました。まず始めたのが糖脂質の一種が鼻腔投与でマウスの脳に入っていくのか、というものでした。鼻腔投与は血液脳関門を経由せずに試薬や栄養因子を脳に届けることができる手法ですが、これまで神経疾患の応用研究は多くありませんでした。ラットでの先行研究を参考に行ったこの実験は、幸い成功しました。そこからパーキンソン病モデルマウスにこの糖脂質を鼻腔投与して効果を確かめる、という第二段階に移行しました。この研究は後にMolecular Therapy誌に掲載されました。これと対をなすテーマとして、パーキンソン病モデルマウスにおける成体脳神経新生についての研究も並行して行いました。この研究については現在、投稿が目前に迫っています。

その間にも、上記とは別の糖脂質についてconditional KOマウスを作製し、成体脳神経新生におけるphenotypeを解析しました。加えて、私からYu教授に提案した小さな研究を並行して行いました。上述のテーマとは別に、私と糸数先生は協力し合いながらさらに4~5個のテーマを追いかけています。少人数でもしっかり話し合い、無駄をなくして研究を進めていけば、短期間に成果を出せるということを学べたのは有意義な経験となりました。

また、それまでの研究成果をDepartmentで発表する機会を得たことも大きな経験になりました。この研究発表会は本来セミナー室で開催されていたのですが、コロナの感染が拡大して以降はZoomで行っていました。2021年12月に行われた私のプレゼンでは、Zoom上で120人くらいの方が視聴して下さいました。質疑応答はYu教授や糸数先生の助けも入りましたが、なんとかこれを乗り切ることができました。それまでプレゼンには苦手意識がありましたが、これを機に吹っ切れた気持ちになれたのは大きな収穫でした。発表後、Yu教授には悪くなかったとおっしゃって頂き、他のラボの教授からも“Congratulations!”などお褒めの言葉をいただきました。

また、2021年に糸数先生が地元のパーキンソン病患者支援団体CSRAの研究助成金を獲得することができました。そこで、助成金寄贈式を兼ねたウォーキングイベント(The People of Parkinson’s(POP)walkevent)にも参加してきました。オーガスタ市内の教会に地元のパーキンソン病患者やそのご家族、パーキンソン病の専門医や研究者らが集まり、交流を深めました。自分の行っている研究の社会的意義を再確認するうえで得難い経験となりました。

研究上のトラブル

Departmentには共焦点レーザー顕微鏡、多光子励起顕微鏡などの共通機器を始め多くの専門のコアがあり、行動実験には他のラボの測定機器も貸して貰えるので、研究活動に大きな支障はありません。ただ、日本では滅多に経験しないトラブルが時折起こります。例えば一括管理して各ラボに給水しているDWのポンプが故障し、使用不能になることがあります(この原稿を書いている今も故障中)。また、高さ2 mくらいある妙に大きなオートクレーブ装置が少なくない頻度で故障します。面倒なので信頼できる日本製装置を勧めておきました。購入に至るかは不明ですが。

オーガスタでの生活

住居は渡米前にYu labの元ポスドクが住んでいた部屋を紹介してもらいました。米国の賃貸としては安めだったのでだいぶ助かりました。今後海外ポスドクを目指される方は、渡航先の部屋は自分一人で決めるのではなく、ラボのメンバーに幾つか紹介してもらうとよいと思います。

心配していた治安については、日中はさほど悪くないと思います。私は自転車通勤をしており、何度か深夜に帰宅したこともあったのですが、これまで危険な目には遭っておりません。渡米前には職場の方から「護身用に銃を買って下さい」「渕上さん、気をつけないと襲われますよ」など心配しているのか面白がっているのかわからないお言葉を幾つか頂戴しましたが、幸いまだ何事もなく生きています。ただし夜は出歩かない方が無難です。

また、少なくともオーガスタ市では露骨な差別は少ないかと思います。

買い物は近隣にあるコンビニと雑貨屋のハイブリッドのような店舗(Dollar GeneralやFamily Dollars)で済ませることが多かったです。糸数先生に車を出していただき、ウォルマートなどの大型店舗を使うこともありました。

マスターズゴルフトーナメントで有名なオーガスタ市に住んでみて意外だった点は、一般市民の殆どはゴルフを嗜まないことでした。私の周囲では、マスターズを直接観戦したことがある人も稀なようです。というのも、チケットが高額過ぎて庶民にはかなり厳しいらしく、大人一人$1500でも安い方だそうです。筆者も早々に観戦を諦めました。出入りしている教会の方に伺ったところ、「ゴルフなんかしているのは金持ちくらいよ」と言われました。

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写真6 Augusta Green JacketsとColumbia Firefliesの対戦の様子

私が住む部屋から徒歩1, 2分のところに、小さな教会があります。ここはEnglish as a Second Language(ESL)の教室を無料で開いているので、渡米直後から顔を出していました。2019年のクリスマスもこの教会で過ごし、聖夜の晩餐にも預かりました。尤も、教会側にしてみればESLは布教活動も兼ねているようで、私が通っている教会も聖書を通じて英語を学ぶという方式を取っています。私の場合、牧師さんが和英対訳の聖書を取り寄せて下さいました。聖書を読み込むのは初めてのことだったので、独特の表現には頭を悩ませることもしばしばでした。

教会では各種行事を行っており、コロナ禍ではさすがに小規模ではありましたが、牧師さん主催の感謝祭、ハロウィン、復活祭、クリスマスなどを経験しました。時には牧師さんの家にも招かれ、奥さんお手製の料理もいただきました。アメリカの料理は大味だとか言いますが、素朴ながらどれも美味しかったのを覚えています。

私の米国での生活は基本的にラボと下宿先を往復するだけの毎日でしたが、それを見かねたのか、牧師さんが野球観戦に私を連れ出してくれました。とある平日、仕事を早めに切り上げた後、オーガスタ市に隣接するノースオーガスタ市(サウスカロライナ州)を本拠地にするグリージャケッツの試合を観戦しました。このチームは2021年にワールド・シリーズを制覇したアトランタ・ブレーブス傘下のシングルAチームです。対戦相手はコロンビアから遠征に来たチームでしたが、どのチームの投手も95マイル(およそ153キロ)以上の球を当たり前のように投げているのが驚きでした。

ASN2022

2022年4月10–14日、ヴァージニア州ロアノーク市で開催されたAmerican Society for Neurochemistryに糸数先生と参加してきました。Yu教授はご高齢であることもあり、コロナの問題もあるので今回不参加となりました。私自身は惜しくも口頭発表の抽選には漏れてしまいましたが、ポスターに集まって下さった方々に研究紹介をすることができました。幾つかの口頭発表では質問もしましたが、発表者の回答を十分に理解できたとは思えず、英語力をもっと鍛えなくてはならないと感じました。しかし、拙いながらも質問をしておくと、後で発表者が話しかけてくれることもあります。私も懇親会の際に発表者の一人が近づいてきて、「あなた、さっき何が聞きたかったの?」と尋ねられました。そこで色々と説明するとやっと相手にも伝わったようで、しばらく議論を交わすことができました。

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写真7 ASN2022が開催されたホテル・ロアノーク

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写真8 受付に展示されていたYu教授のポートレート

英語力といえば、レストランで食べ物を注文するのも一苦労でした。ロアノーク市のダウンタウンにあるハンバーガー屋では、色々あるオプションから選ばなくてはならなかったのですが、店員が気を利かして模型を使いながらゆっくりと説明してくれました。苦心してオリジナルのハンバーガーを注文しましたが、出来上がったものはハンバーガーではなくサンドイッチでした。どこで間違えたのか未だに謎です。店員にはVery Good!!と親指を立てながら食べましたが、実際味は悪くなかったです。

学会中には、Yu lab OBのErhard Bieberich教授(ケンタッキー大学)や、Thomas Seyfried教授(ボストンカレッジ)らともお会いすることができました。Seyfried教授とは糸数先生と三人でランチに行く機会がありました。互いの近況や一流の研究とは何かといったことまで、興味深い話を伺うことができました。Seyfried教授はすでに70代ですが、引退する気はまだないそうです。

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写真9 Seyfried教授と、発表したポスターの前で

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写真10 向かって左から糸数裕上級研究員、Erhard Bieberich教授、筆者

懇親会ではアルゼンチンから参加した学会アワード受賞者の女性や、ニューヨーカーの若手研究者と相席になり、互いの状況や国の文化などについて話すことができました。ニューヨーカーとは松井やイチローの話題で盛り上がり、アルゼンティーナにはアルゼンチン独特の飲み物(マテ茶)についても教えてもらいました。アルゼンチンタンゴは踊れるのか尋ねると、「あんなもの、ほとんどの人は出来ないわ」と苦笑されました。懇親会も終盤になると、大御所の教授方までもが入り交じるダンスパーティと化していました。これこそアメリカ文化といったところでしょうか。

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写真11 ASN2022懇親会の様子

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写真12 懇親会終盤

留学の意義

異なる文化の中で生活し、現地の方々と交流を持つ中で、日本にいては決して得られない経験を積むことができます。私の場合、比較的単調な研究生活の中にも刺激があって飽きることはありませんでした。

米国のポスドクを間近に見られるということも重要だと思います。様々な国籍や人種のポスドクがおり、彼らは常に堂々としていて物怖じせず、研究テーマを次々に変えていく柔軟性があります。幅広い知識と経験を得た彼らが、やがて次の世代を育てていくわけです。そうした人々から、私自身大きな刺激を受けました。彼らには、自分が何をしたいのか、どうありたいのかという問いかけが常にあるのだと思います。MCGの校舎にペイントされた“Like no other”という標語は今でも胸に刻まれています。

Yu labは貴重なテーマを多く抱えており、可能であれば仕事を続けたかったのですが、あいにく申請していたグラントが全て落ちてしまい、帰国せざるを得なくなりました。いざそうなると、仕事とは関係なしに「もっとここにいたかったな」という思いが自然と湧き上がってきました。2年半という短い期間ではあっても、多くの楽しい思い出が残りました。この地で得た思い出は生涯の宝になることを私は確信しています。

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写真13 旧MCGビルにて、糸数先生と。この写真を撮って下さった若いご夫婦は、この建物で挙式されたのだとか。現役を退いても地元住民に愛され続けているようです。

おわりに

最後になりますが、今回「海外留学先から」を執筆する機会を与えて下さいました滋賀医科大学の等誠司教授、大学院時代に指導をして下さった東京都立大学の久永眞市教授、Yu labに異動する際にお力添えを頂いた近畿大学の楠進教授、そして米国で研究する機会を与えて下さったRobert K. Yu教授、プライベートから研究まで様々な面で相談に乗って下さった糸数裕上級研究員にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。在米期間は残り僅かしか残されておりませんが、悔いの残らないようしっかり仕事を仕上げて帰国したいと思います。

2022年4月末日

追記

2022年5月18日深夜、Robert K. Yu教授は肺炎のため逝去されました。心より哀悼の意を捧げます。

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