ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 62(1): 12-17 (2023)
doi:10.11481/topics192

海外留学先から海外留学先から

米国ハーバード大学医学部附属病院での研究生活

Department of Neurology, Brigham and Women’s Hospital, Harvard Medical School

発行日:2023年6月30日Published: June 30, 2023
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はじめに

私は、現在米国のマサチューセッツ州ボストン市にあるハーバード大学医学部附属病院のBrigham and Women’s Hospital脳神経内科所属の研究室に博士研究員として勤務しております。新型コロナ感染症が世界で大流行中の2021年の5月に渡米し、海外勤務開始から2年が経ちました。「海外留学先から」の執筆の機会をいただきましたので、留学開始する経緯から現在のボストンでの研究生活についてご紹介いたします。

留学までの経緯

私は、肺を持つ古代魚ポリプテルスを用いた発生学の研究に医学生時代は従事し、一旦研究から離れて研修医、脳神経内科レジデントの臨床医としての経験を経て、再び研究に専念するべく東京大学大学院医学系研究科に進学し、2021年に博士号を取得しました。博士課程では、東京都健康長寿医療センター研究所老化機構研究チームの井上聡先生のご指導の下、ミトコンドリアの電子伝達系でのエネルギー産生に関わる呼吸鎖超複合体の研究をしておりました。Förster共鳴エネルギー移動(FRET)と呼ばれる物理現象を利用し、生細胞における呼吸鎖超複合体を可視化し定量化する技術を新規に開発しました。さらにこの手法を応用することで呼吸鎖超複合体形成とミトコンドリア機能を促進させマウスの運動持久力を向上させる因子の同定に成功しました(Kobayashi et al., Nat. Commun., 2023)。この研究を進めていく過程で、博士課程3年目の途中から新型コロナ感染症が流行し始め、徐々に従来のように研究室の出入りが難しくなり、卒業後の進路以前にそもそも博士課程を予定通り修了できるか、という不安が非常にありました。医師という立場もあったことから、学位審査の5日後には東大病院のコロナ病棟・発熱外来に勤務しないといけない状況になり、感染拡大防止のために自宅にも帰れず、病院寮で夜勤の合間に学位論文の修正を行い、期限ギリギリに提出しました。同時に、学位取得後の進路として海外で認知症の研究をしたいという強い思いもあったことから、研修医時代にお世話になった先生の助けもあり、Brigham and Women’s Hospital脳神経内科所属の研究室全体に自分の履歴書とcover letterを一斉に送りました。博士研究員としての採用を検討して下さった3つのラボからzoomでの面接のオファーをもらい、2時間のzoom面接・プレゼンを計3回行った結果、他のラボからのオファーをお断りし、現所属であるAnna Krichevsky研究室を選択しました。自分の博士課程の研究テーマと重なるミトコンドリアに着目した神経免疫の研究室からもオファーがあったのですが、全く新しいアプローチからの認知症の研究をしたいという思いがあり、低分子ノンコーディングRNAに着目した認知症の研究を行っている現研究室を選択しました。コロナ患者対応と学位論文提出と同時進行に、夜中に海外ラボのPIの先生方とzoom面接をしていた時期は体力的にも精神的にも極限まで追い詰められ、人生で一番辛かった数ヶ月だと思います。でも今になっては、その辛い時期を経験して乗り越えたからこそ、人間として大きく成長できたように思います。また壁に直面することがあっても、あの時期を乗り越えた自分なら、と言い聞かせられるような気がしております。

それまでの海外経験としては、医学教育振興財団や臨床心臓病学教育研究会の奨学生として医学生・研修医の時期に英国・米国の大学病院で短期臨床実習を何度か経験しておりました。研究での海外留学の経験は全くありませんでしたが、学生時代にハーバード大学医学部附属病院のMassachusetts General Hospitalで臨床実習した履歴・成績と推薦状の記録が残っていたこと、英語のプレゼンテーションには慣れていたこともあり、学生時代の経験を活かして今回の研究留学を無事実現できたと感じております。お世話になった先生に「その時は後で何の役に立つかわからない点だけど、点と点が繋がって線になったね」と言っていただいたことが今でも印象に残っております。

ボストンでの研究生活

私が留学しているハーバード大学医学部附属病院のBrigham and Women’s Hospitalは、米国東海岸、マサチューセッツ州のボストンにあります(写真1)。ボストンには ハーバード大学附属・関連病院だけでもBrigham and Women’s Hospital, Massachusetts General Hospital(MGH), Beth Israel Beacon Medical Center, Dana Farber Cancer Center, Boston Children’s Hospitalの5つの病院があり、MGH以外は病院同士が隣接しており、院内の通路でそれぞれの病院を行き来できます。また、病院に近接するHarvard Medical School自体に所属する研究室も多数あります。そのほかハーバード関連だけでなく、Broad Institute、ボストン大学、マサチューセッツ州大学、マサチューセッツ工科大学にも神経系ラボが多数あり、留学先候補になる研究室は数えきれないほどあります。また、ラボ同士の機器の共同使用、実験動物や細胞の譲渡、共同研究は日常茶飯事であり、小さいラボの研究アイディアであっても大きなプロジェクトに発展させることが容易にできる環境がボストンだと思います。一方で、類似する研究テーマに取り組む研究室が同じ建物の同じフロアに多数存在するケースもあり、ラボ同士の競争も非常に激しいです。トップジャーナルにどちらのラボがより多く投稿するか、研究費をどちらのラボがより多く獲得できるか、という戦いが日々繰り広げられる、ピリピリした緊張感が漂う雰囲気があります。研究内容に関する情報交換、発表についても同じリサーチセンター内であっても論文化に向けて他のグループに先行されないように、非常にデリケートに皆対応している状況です。共同研究する相手に関しても、例えどんなに著名な研究者であっても、自分達の研究プロジェクトをプラスの方向に導いてくれる人達であるかの判断力が問われ、人選が非常に重要な要素になってきます。

Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 62(1): 12-17 (2023)

写真1 病院の裏にあるHarvard Medical Schoolの建物

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写真2 ラボメンバーでの集合写真

ボストンでの研究において唯一不便さを感じたのが、注文物品の配送についてです。実験に必要な物品が予定通りに配送されない、注文したものと違う物が配送されてくる、院内の違う部署に配達される、などトラブルが続出しています。1年前に注文したものがいまだに届かないケースもあります。実験動物についても、マウスやラットのオーダーを担当者一人通すごとに数日かかるため、担当者が休みという理由で予定していた実験が大幅に遅れることも日常茶飯事です。リソースが日本より多いのにも関わらず、注文担当者、配送業者、院内の担当者の連携がうまくできておらず、ミスも非常に多い印象ですが、一つ一つクレームをつけられる量ではないので慣れるしかありませんでした。前もって物品のオーダーも含めた実験計画を立てる必要があります。

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写真3 複数の異なるラボに所属するメンバーと旅行や日々過ごす様子

ボストンでの研究について良い点を一つ挙げるならば、ボストンはアカデミア外の研究環境に非常に恵まれています。世界有数の製薬会社本部がボストンにあるだけでなく、小規模のスタートアップ製薬企業も多数あるため、アカデミア同様のラボ環境を提供している製薬会社が無数にあります。コロナワクチンの開発以来、Research Scientistや博士研究員として製薬会社に勤務する研究者の数も年々増えており、アカデミアのラボ運営と製薬会社の臨床治験の監督というポジションを両立させているPI・教授も数多くいます。ボストン在住の一般市民も研究による新薬開発を勧奨する意識があり、電車内の広告やホームの掲示板にアカデミア・製薬会社の臨床治験の参加者募集ポスターをよく目にするほか、実際に臨床治験に参加する人数も非常に多いです。病院の氏名証を身につけていると、見知らぬ人に「お仕事お疲れ様」と時折声をかけられることもあり、ボストン市民の研究者に対する畏敬の念を日々の生活で感じています。

Brigham and Women’s Hospital, Ann Romney Center for Neurologic Diseasesでの研究

現在私が所属するラボは、病院に附属するリサーチセンターにあるため毎日院内を通って出勤しております。ラボによっては患者検体を採集して実験を行い、問診・診察データを用いた解析を行うため、患者が外来受診後にそのままリサーチセンターに寄ることも多く、医師・患者・研究者が日々行き来する環境に置かれています。その影響もあり、Scienceを追求するというだけでなく、診断技術・治療薬開発による患者への貢献という研究の最終目標を日々意識させられます。ラボによって勤務スタイルは異なりますが、私のラボでは博士研究員は何時に来て何時に帰っても給料は変わらないため、毎日それぞれの実験に合わせたタイミングで出勤しております。ただ毎週必ずPIとの個別ミーティングがあるため、1週間ごとに実験結果を提示、進行状況のupdateを行わないといけません。過程は問わず、結果のみ求めるというスタイルです。結局は昼夜問わず週末も実験をし、1年間でまとまった休暇を取るのは年末年始のみ、というようによく皆働いています。また、神経膠腫、髄膜腫、アルツハイマー型認知症とそれぞれ全く異なる対象疾患・研究テーマに取り組んでいるため、ラボ内で論文のauthorshipの取り合いになることはまずないという利点はありますが、逆にそれぞれが行う実験内容が全く異なるため全部の実験を一人でこなさないといけないという大変さもあります。2週間に1回のラボ全体ミーティングで他の博士研究員が取り組んでいる研究テーマについて、全く知識がない状況から発表を聞いて勉強している日々です。

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写真4 ラボで自分が実験する様子を撮られた一枚

このリサーチセンターで働き始めて一番驚いたことは、フロアにいる7割以上が女性研究員ということでした。もちろん博士研究員の多くは国外から渡米してきており、様々な人種で構成されていますが、それに加えて女性の博士研究員の多さに驚きました。周りの人達にその理由を聞くと、博士研究員は給料が比較的低いことから男性一人が一家を養うには厳しいこと、(前述したように出勤時間に関して特に決まりがないラボが多いため)時間の融通が効き子供がいても共働きの女性にとって働きやすい環境であること、Scienceを純粋に追求する女性が増えていること、などが挙げられるそうです。Neuroscienceの博士課程に在籍する大学院生によると、学年で白人男性は1人いるかいないかという状況で、同じ学年の他の女性が皆恋愛対象として一斉に狙うため”White presentを奪い合う”というフレーズが女性の間では流行るほどだそうです。日本で自分が博士課程に在籍していた時代は研究所のフロアに自分と同年代の女性研究者は一人もいなかったので、日本と米国の女性研究者の割合の差に大変驚愕しました。

ハーバード大学附属・関連病院の研究室に所属する博士研究員には、様々な教育プログラムが提供されます。臨床研究に必要な統計解析やプログラミングの知識・技術を学ぶことができる講習会やCVの書き方に関する個別指導、就職面接のチューターなど多種多様な教育プログラムを受講できます。私は今後のキャリア設計に関するアドバイスをもらえるCareer development mentoring programに1年通して参加しました(写真5)。自分の所属するラボとは全く関連がない部署の教授がmentorになるため、日々のラボでの問題も忌憚なく相談ができ、キャリア設計のためのサポートも個別にしてもらいました。また、それとは別にPostdoc association mentoring circleという博士研究員だけのサークルにも参加しています(写真5)。月1回全く別々の診療科、研究室に所属する博士研究員が集まり、cover letter、推薦状の書き方の指導やグラント情報の収集の仕方などを共有しています。1年目はmenteeとして参加し、2年目はシニアフェローとしてmentor側で1年目の博士研究員の指導にあたっています。こういったプログラムを通して研究や自分の将来設計において有用な知識を習得しつつ、ラボ以外のコミュニティを広げていけるところが魅力的です。

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写真5 教育プログラムで出会った博士研究員達との写真

海外に研究留学することの意義

実際に海外の研究室で勤務を経験した上で、以下の3点において海外へ研究留学する意義を感じました。まず一つは、日本では容易に手に入らない研究資源が特に米国には豊富にあることです。私は現在ヒトiPS細胞由来の神経細胞や患者の脳組織検体を用いた実験を行っておりますが、ハーバードでは全国からの申請を受け入れて必要な研究機関に無料または有料分配するシステムが構築されております。一方で、日本ではこれらの細胞・組織は限られた研究機関でしか実験に使用することができず、全国の必要とする研究機関に提供する大々的なシステムは構築されておりません。米国では凄まじいスピードで研究が進められている要因の一つは、日本と比較して研究資源へのアクセスがしやすいことが挙げられると思います。海外に研究留学する2つ目の意義としては、世界の研究情報、研究の最新トレンドをいち早く知ることができます。英語で情報が行き交っている影響もあり、欧米の研究室はTwitterやLinkedinなどを介して互いに情報交換をこまめに行っています。以前は学会でまとめてそのような情報交換は行われていましたが、SNSが日常生活の一部になっている現代ではオンタイムでの情報発信に日々追いついていかないといけない状況です。先日世界中で話題になったChatGPTについても、日本でニュースになる3ヶ月以上前に私を含むリサーチセンターの博士研究員は皆既にその存在を知っていました。情報取集ツールを利用して英語で色々なものを日々フォローしていることもあり、研究に利用できる新しい技術・手法はオンタイムで情報が入ってくる印象があります。日本の研究水準は決して世界に劣っていないと感じておりますが、有用な研究資源の入手システムの構築や研究に関する情報収集のスピードが欧米より遅れているという点で、最先端の研究を追求する際のdisadvantageを克服することができます。

海外に研究留学する3つ目の意義としては、ジャーナルのeditorや国際学会の役員の先生方との距離を縮められることです。海外の研究室同士のネットワークは非常に幅広く、色々な先生方が「このジャーナルのeditorと昔同じラボに在籍していた」、「この国際学会の役員の先生のグループと共同研究をしたことがある」など、様々なつながり、コネクションがあります。海外に留学することで、その先生方に紹介してもらえる機会やジャーナルのeditorが研究所にセミナー講演に来るイベントなどで個別に話ができる機会をもらうことができ、自分もそのネットワークに加われる可能性が広がります。また国際学会に参加する機会が増えるため、自分の存在を認識してもらいやすくなります。もちろん、ネームバリュー的な要素もあり自分もハーバード大学附属病院の研究室に所属してから急に論文の執筆オファーや学会のspeakerとしてのinvitationを受けることが増えました。海外の研究室はジャーナルのeditorとコネが強いので論文が通りやすい、という噂を聞いたことがありましたが、一部本当なのかなと感じております。

海外で研究する上での注意点

これから海外に研究留学を考えている先生方にお伝えできることは2つあります。1つ目は交渉術を身につけておくことです。こちらに来てまず感じたのは、米国は大きな理想を抱いて各国の精鋭達が集まってくるため、激しい競争の中で揉まれる影響もあり一人ひとりの要求・願望が皆強く、悪い言葉で表現するならば自己中心的な人も多いです。その中で、自分にとって優位な方向性に物事を進めていくためには品よく言葉選びに注意しながら、相手に悪い気持ちにさせないように交渉していくことが大事です。日本人は皆優しく受け身な印象がある、とよく言われますが、寡黙でいるよりも自分の主張をはっきりすることで色々なチャンスに恵まれることもあれば、逆に周りからリスペクトされるようにもなります。英語が苦手であっても、例えばミーティングに備えてどういう発言をしたらいいか事前に準備することはできますし、基本的には“相手にとっても私にとってもプラスになる”というウィンウィンな選択肢を提示すれば、否定されることはまずありません。どういうふうにプレゼンをすれば相手に自分の要望を検討してもらえるか、ということを常に念頭に置きながらdiscussionに臨むことが大事だと感じております。

2つ目はthick skinをもつこと、つまり困難に直面しても容易に折れない、めげない心を持つことです。私も日本で研究をしていた時は壁にぶつかるとすぐ萎んでしまう性格でした。しかし、米国に来てから驚いたことは、皆タフで毎日のように何かしらの問題が起きても全くめげません。他のラボと怒鳴り合いの喧嘩になっても、論文がrejectされ続けても、聴衆の面前で研究内容をdisappointingと批判されても、動じる気配すら感じません。「その強い心を持つ秘訣は?」と聞くと、「紛争が毎日のように起きている母国で育って貧しい環境を生き抜いてきたから、日々のちょっとした衝突や問題は全く気にならない」と言われました。戦争に巻き込まれる恐怖に晒されながら生活を成り立たせるだけでも大変、という環境を生き抜いてきた人達は強く逞しいです。出産前後1週間休むのみですぐ仕事に復帰する女性研究者も多く、妊娠・出産の過程であっても仕事における精神的な不安定さを一切みられません。困難に直面しても動揺しない、淡々と日々必要なことをこなせる心を保つことの重要性を再認識しました。

最後に

今回このような留学体験記を書く機会を与えて下さいました、日本神経化学学会出版・広報委員会の先生方に心より御礼申し上げます。また、大学院時代に指導をしてくださった東京都健康長寿医療センター研究所の井上聡先生、留学の際にお力添え頂いた理化学研究所・生命医科学研究センター代謝ネットワークチームの北見先生、米国で研究する機会を与えてくださったAnna Krichevsky先生をはじめ、これまでお世話になった諸先生方に心より感謝申し上げます。現在留学中の仕事を第66回日本神経化学会大会・第64回日本神経病理学会総会学術研究会合同大会で発表させていただくことを大変楽しみにしております。この学会発表に際して鍋島トラベルアワードによるサポートを頂けますことこの場をお借りして感謝申し上げます。また、ISN-ESN大会2023でYoung Member’s Symposiaに採択されました。応募の際にご指導いただきました日本神経化学国際対応委員会の先生方にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

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