ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 63(1): 28-29 (2024)
doi:10.11481/topics215

追悼追悼

米田幸雄先生のご逝去を悼んで

1摂南大学 相談役(前学長) 薬学部特任教授

2日本神経化学会功労会員

発行日:2024年6月30日Published: June 30, 2024
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Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 63(1): 28-29 (2024)

米田幸雄先生(金沢大学名誉教授、大阪大学招聘教授、日本神経化学会名誉会員)が2023年(令和5年)12月31日に享年73歳でご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。数年前からご病状等をお聴きしていましたが、昨年秋にもご連絡をいただいており、突然の悲報で深い悲しみに沈んでいます。

米田幸雄先生は、大阪大学薬学部卒業(1972年)・同大学院薬学研究科修士課程修了(1975年)後、京都府立医科大学助手(1975年)・同講師(1982年)、摂南大学薬学部助教授(1984年)・同教授(1997年)、金沢大学薬学部教授(1999年)として教育・研究活動にご尽力され、その業績に対して多くの賞を受けられています。金沢大学定年退職(2015年・同大学名誉教授)後は大阪大学招聘教授に着任されています。定年退職後も現役教授と同様に活発な研究活動を展開され、金沢大学での基礎研究を社会実装すべく、2018年には一般社団法人・予防薬理学研究所を創設されました(初代理事長)。特に、治療を中心とする従来の薬理学と同様に、「病態予防や未病の観点から薬理学を展開することが薬理学の新たな使命である」との強い思いで、基礎研究と社会実装研究の融合に全力で取り組まれたことには感銘を受けています。また、その研究所の活動を通して、数多くの若手研究者の育成と私財を投入した研究支援に力を注がれたことは、まさに先生の“一生涯の使命感”のなにものでもないと感服しています。

米田先生は、第54回日本神経化学会(2011年)大会長、日本神経化学会理事(2005–2009年、2011–2015年)、アジア太平洋神経化学会理事(2008–2010年、2010–2014年(事務総長))、および他の学会の理事・理事長を務められました。多くの他の学会活動でも活躍されていましたが、特に日本神経化学会の活動に注力され、私たち門下生に対しても「この学会での活動が成長のカギだよ。この学会は若手を鍛えてくれるんだから。」と常に話されていたのを思い出します。

米田先生の最近のご業績は皆様もご存じかもしれませんので、ここでは私が共に研究活動を始めた摂南大学薬学部での研究や日常のエピソードをご紹介して、米田先生を偲ぶ思い出の一つとさせていただきます。米田先生は、京都府立医科大学において栗山欣彌先生のもとでGABA受容体等の研究を遂行され、その業績の一部は国際誌Natureにも掲載されています。摂南大学に着任と同時に、GABAから興奮性伝達をつかさどるグルタミン酸(Glu)受容体にフィールドを変更し、研究を開始されたのです。その当時、同研究室の助手として着任した私は先生の熱い研究の情熱に魅かれ師事することに決めました。Gluは古くから電気生理学的研究から興奮性シグナルを発生させることは知られ、1984年当時でも受容体としてカイニン酸型、AMPA型、NMDA型の存在が想定されていました。しかし、その受容体タンパク本体はもちろんのこと、当時活発に行われていた受容体結合実験でもその存在が見出されていない状況でした。そこで、Glu結合部位の解明から始めました。その研究成果を学会で発表したときも「体内に高濃度存在するGluが本当に神経伝達物質なのか?」などと受容体を否定する声も聞こえたきた時代でした。米田先生は怯むことなく一心に研究を進められ、1988年世界で初めてNMDA感受性Glu結合部位を発見されたのです。その後、Glu受容体が神経細胞死に関与することが解明され、一躍国内のGlu研究の一人者になられたことは言うまでもありません。神経障害治療薬としてのNMDA受容体拮抗薬の開発、NMDA細胞内シグナル、骨等の非中枢性Glu受容体の役割、神経再生におけるGlu受容体の役割、その他大きく研究を展開され、その成果を全世界に発信され続けられてきました。中でも、非中枢性Glu受容体の研究は、1989年当時にはじめて発表して以来、米田先生の将来の研究テーマの一部となったことは、同研究に携わった私にとっても感慨無量です。

米田先生は、お酒というよりは甘党で、若い頃は事あるごとにコーヒーとケーキなどを用意して学生たちとティータイムを楽しんでおられました。また、趣味として広く知られているのは「カラオケ」です。研究室のイベント、学会での夕食後などの事あるごとにカラオケに行き、アリスのナンバーをご一緒に歌ったことを先日のように思い出します。研究室メンバーとのカラオケでは、最後には必ず「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、それが一番大事…」と。米田先生のモットー・合言葉「Never Give Up! Do My Best!」。その声がいまにも聞こえてきそうです。米田先生の願いは、若手研究者の本学会での活躍と本学会のさらなる発展でした。その思いをお伝えして稿を閉じます。

米田幸雄先生の神経化学における偉大なご貢献と若手研究者の育成に生涯を通してご尽力されたご遺業を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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