ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 63(1): 30-31 (2024)
doi:10.11481/topics216

追悼追悼

恩師 米田幸雄先生を偲んで

岡山大学 学術研究院医歯薬学域(医学系)教授

発行日:2024年6月30日Published: June 30, 2024
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米田幸雄先生(日本神経化学会名誉会員、金沢大学名誉教授)が、2023年12月31日に急逝されました。ご病気は伺っており覚悟していたとはいえ、突然の悲報には、驚きと、喪失感、深い悲しみにたえませんでした。今も、連絡したら返事が返ってくるような気がしてならず、心の整理がつかないまま追悼文の筆をとる次第です。本学会は、米田先生がとても大切にされていた学会です。米田先生の研究ヒストリーについては、米田先生ご自身の稿「私と神経化学:人財にあこがれて、神経化学Vol. 60(No. 2), 2021, 100–105」に詳載されておりますので、ぜひご高覧いただけましたら幸いです。米田研で教室配属から助教まで14年間ご一緒させていただいた一弟子の私からは、米田先生の男気のある優しいお人柄、若手を常にエンカレッジしアカデミアを育ててこられた点に触れさせていただきたいと思います。

米田先生は、1999年金沢大学薬学部教授として着任されました。私は、2000年に米田先生の薬理学の講義を受けた学生です。レジメを使うことなく板書をしながら重要な点は繰り返して説明し、時折関西ギャグを差し込みながら教室の雰囲気を和ませるのが米田先生の授業スタイルです。薬学の授業の中でも薬理学の授業がダントツで面白く、また含蓄のある授業をされていました。そのため米田先生の研究室(薬物学研究室)は人気が高く、成績上位者が集まるようなラボでしたが、当時の研究室配属はじゃんけんで決まるような古き良き時代でしたので、私もメンバーに加わることができました。

米田研はactivityが非常に高く、「週72時間、緊張と緩和」がキーワードで、「全力で研究はやる、やることやったら全力でやすむ」を信条に皆が研究に没頭しておりました。米田先生は、研究の方向性を示しますが細かい研究の指示はされませんでした。一方で、研究進捗発表の場、学会発表練習会の場では厳しく熱心に指導され、また、決して研究成果を塩漬けにせず成果の発表、論文化を徹底されていました。その積み重ねの成果が、289報の原著論文といった、すばらしい研究実績へと現れております。博士学位取得者の数も圧巻で、金沢大学在籍の16年間で55名を数えます。人材育成への熱意は特筆すべきところで、国内学会や国際学会での発表、学術振興会特別研究員の応募、博士期間中の留学など、数多くの経験を通して皆が研究者としての基礎を築けるよう指導してくださいました。

米田先生は、米田研出身者でアカデミックキャリアを積む方を対象としたYoneda Academic Club(YAC)を作られて、会員同士の情報交換の場を定期的に開催されました。年1回ほど開催されるYACでは、お盆に実家に戻ってきたようなホーム感があり、先輩・後輩と近況を伝え合うことが会員の楽しみとなっていました。米田先生には、皆が畏敬の念を抱き、また父親のような存在でもありました。いつお会いしても背筋がのびる気持ちとなるのは皆の共通認識であり、「この人に認められたい」と思わせる天才でした。

私がご一緒させていただいていて心に残るフレーズがあります。「お前のためなんだ、という指差しの先が自分に向いていないか、常に確認するんだ」という言葉です。しかし米田先生の言動を今思い返しても、利己といわれるものは何もなく、すべてが利他でした。学会発表のlegendまですべて目を通して細かな点まで直してくださり、もちろん論文は言うに及ばずです。在職中の取得特許を基に、定年後に開発された健康食品の収益は、YACメンバーや、金沢大学薬学系の若手研究者向けの研究グラントとして寄付されました。そのような行動を私は間近で見ておりましたが、その労力・ご貢献を「決して」主張されませんし、話題にも出されません。米田先生はご自身のこと、例えば過去の業績のこと、自慢話などをされているのも聞いたことがありません。それらは先生の中での美学であったようにおもいます。それをぶれずに継続される強さを尊敬しておりました。

米田研を卒業後、私は2016年に現所属でテニュアトラックの独立准教授のポジションを得ました。短期間での研究費・研究成果の捻出のストレスや、なによりラボ運営の難しさなどで、大変苦しい経験をしました。能力の限界を感じ、米田先生に一度、アカデミックを辞めようと思う気持ちを打ち明けたことがあります。「宝田ならできるから。真摯に努力していたら、必ず誰かがどこかで見てくれている」。そんな言葉をかけていただき、思い留まることができました(掲載写真は、教授昇任祝いに食事に連れて行っていただいた時のものです)。このアドバイスは、些細な作業にも一生懸命とりくみ、それがアカデミックポジションにつながったという若き日の米田先生のご経験からの教訓であったことを後に知りました(私と神経化学:人財にあこがれて、神経化学Vol. 60(No. 2), 2021, 100–105)。先生が研究者をスタートした際の教訓が私を救ってくれたと思うと、不思議な運命を感じます。あの時の言葉がなければ、相談する人があなたでなければ、私は今これを執筆できておりません。本当に感謝しております。

2023年12月3日、米田先生よりラインが届き、その文中には食事の約束をしていたがそれは実現できそうにない、との連絡をいただきました。加えて、いよいよ最終準備が必要であること、再び会うのはもう難しいこと、そして最後に以下の文面で締められておりました。「これからの人生を最後の日まで目一杯お楽しみください。長きにわたり付き合ってくれて感謝の念に堪えません。心から御礼申し上げます。これにて!Bon Voyage!」(*Bon Voyage:フランス語で、「よい旅を」)。長くご一緒させていただいていて、改めてお礼を言われたのは実はこれが初めてのことだったので、言葉の重さに耐えきれず涙しました。今でもこのラインをみると、様々な思い出がうかびあがり、先生への感謝の思いに胸がつまります。

研究のお作法から、研究者としての在り方、多くを教えていただきました。また何より大変楽しかったです。心より敬意をこめて、米田先生のご冥福をお祈り申し上げます。

Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 63(1): 30-31 (2024)

2023年1月、大阪の焼き肉店にて(左:米田幸雄先生、右:筆者)

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