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2024年4月より九州大学において独立准教授に就任いたしました髙野哲也と申します。このたび、長い歴史と伝統を誇る機関誌「神経化学」において、研究室紹介の機会を賜り、心より御礼申し上げます。本稿では、これまでの私の研究の歩みと、現在の研究室の概要についてご紹介させていただきます。
私は、心の働きを生物に共通する“分子”という言語で捉えたいという思いから、神経化学の研究に携わるようになりました。この思いは、本学会が掲げる「分子から脳機能や精神・神経疾患を理解する」という理念と深く通じるものがあると感じています。学生時代は、東京都立大学の久永眞市先生のもとで、神経細胞特異的なリン酸化キナーゼCdk5の研究に取り組みました。人生で初めて学会に参加したのは、ちょうどその頃、群馬県・伊香保で開催された日本神経化学会大会でした。知り合いもおらず、何も分からないまま参加した当時の緊張感は、昨日のことのように思い出されます。その後、若手育成セミナーに継続的に参加する中で、多くの先生方や、現在も第一線で活躍されている同世代の研究者の方々と出会う機会に恵まれました。こうした出会いや交流は、研究を進めるうえで大きな刺激となり、私の研究人生において重要な基盤を築くものとなりました。日本神経化学会は、若手研究者にとって非常に温かく、成長の機会に満ちた学会であると、身をもって実感しています。その後、名古屋大学の貝淵弘三先生のご指導のもと、神経細胞の極性形成を方向づける時空間的な長距離シグナル伝達経路を明らかにし、分子ネットワークが細胞のかたちや運命に与える影響について学びました。当時の貝淵研究室では、情動に関する研究も精力的に進められており、心の働きが細胞内の分子シグナル伝達によって制御されているという事実に、強い驚きと感動を覚えたことを今でも鮮明に記憶しています。さらに、米国Duke大学・Soderling研究室では、アストロサイトと神経細胞から構成される「三者間シナプス」の構造と新規の分子制御機構の解明に取り組みました。ここでは、細胞間相互作用が神経回路の精緻な制御に果たす役割を研究し、特にアストロサイトが抑制性シナプスの形成と機能制御に直接関与するという、これまで知られていなかった新たな仕組みを明らかにしました。2020年からは、慶應義塾大学・柚﨑通介先生のもとでシナプスの分子基盤に関する研究をさらに発展させ、現在は九州大学にて独立准教授として、新たに脳機能分子システム分野という研究室を主宰しております。
私たちの研究室では、「分脳一体(脳機能の本質は分子にある)」を合言葉に、分子の多様な働きを解明することによって、脳機能および精神・神経疾患の本質的な理解を目指しています。脳内には10万種類を超えるタンパク質が精緻に配置され、互いに影響を及ぼし合いながら、思考・感情・記憶といった高次脳機能を支えています。私たちは、これら膨大な分子ネットワークの全体像とその動的な変化を解析することで、脳機能の制御機構を分子レベルで解明することを目指しています。その中核を担うのが、私たちが開発・応用してきた「近接依存性ビオチン標識法(BioID)」を基盤とした、超空間解像度プロテオーム解析技術です。この技術では、生きたマウス脳内において、特定の神経細胞やシナプス近傍に存在するタンパク質を選択的にビオチン化し、それらを質量分析により網羅的に解析することで、その場に“存在し、機能していた”分子の空間地図を描き出すことが可能となります。検出されるタンパク質は数千種類に及び、それらの分類や特徴抽出には最先端のAI・機械学習技術を活用しています。これにより、各シナプスに固有の分子ネットワークを、三次元的かつ時間的に再構築しています。私たちは、こうして得られたデータを単に「集める」に留まらず、「どのように活かすか」にも重点を置いています。例えば、私たちは、行動解析や神経活動のデータと統合することで、記憶形成時に活性化される分子ネットワークや疾患モデルにおいて特異的に変化するタンパク質群を可視化し、分子の網羅的な動態に基づいて、神経回路の形態と機能、行動パターン、さらには病態の症状までも予測可能な新たな解析戦略の構築に取り組んでいます。
こうした挑戦的な研究を支えているのが、多様なバックグラウンドを持つメンバーが集う、活気ある研究チームの存在です。研究室の立ち上げ当初は、わずか4名からのスタートでした。しかし現在では、「未経験でも神経科学に挑戦したい」「新しいことに飛び込みたい」という熱意を持つ仲間が次々と加わり、生化学、情報・数理学、薬理学、植物学、地球科学、神経再生学、脳神経外科など、実に多彩なバックグラウンドを持つ研究者が集うチームへと成長しています。私たちは、自らの強みでもある分子基盤技術を活かし、グローバルな視野から先端的な神経科学研究を展開しています。また、国内外の研究者との共同研究や技術開発にも積極的に取り組んでいます。研究環境においても、生化学・分子生物学・細胞培養・組織解析・質量分析・マウス行動解析・データサイエンスに必要な機器が一通り揃っており、「やりたいことをすぐに試せる」機動力の高い体制が整っています。さらに、私たちの研究室があります九州大学・生体防御医学研究所には、分子から個体レベルまで幅広い階層で研究を行う多様な研究者が在籍しており、分野を超えたコラボレーションが日常的に生まれることも、大きな魅力のひとつです。近年、日本の研究力の低下がしばしば懸念されていますが、私たちの研究室には、そのような風潮を跳ね返す情熱と創造力に満ちた若手研究者が多く集まっています。私は、「若手であっても、世界をあっと驚かせるような成果を生み出せる」と信じています。そのために最も大切なのは、経験の有無ではなく、旺盛な好奇心、柔軟な行動力、そして研究を楽しむ気持ちだと考えています。失敗を恐れず、自ら問いを立て、仲間と活発に議論を重ねながら、日々一歩ずつ前進していく姿勢が何より重要だと考えています。
本稿をお読みになって、「少しでも興味を持った」「話を聞いてみたい」と感じてくださった大学院生や若手研究者の方がいらっしゃいましたら、ぜひご遠慮なくご連絡いただければ幸いです。研究室の見学や技術的なご相談、共同研究のご提案など、いかなる形でのご交流も歓迎いたします。私たちとともに、タンパク質が織りなす動的な分子相互作用の全体像に迫り、その先にある「脳」や「疾患」の本質を分子レベルで解明するという、挑戦しがいのある壮大な研究に取り組んでみませんか。
最後になりますが、これまで私をご指導くださった多くの先生方、そして日々研究を支えてくれている研究室メンバーに、この場を借りて心より御礼申し上げます。また、本稿執筆の機会をいただきました日本神経化学会・出版広報委員会の永井拓先生にも、深く感謝申し上げます。今後とも、日本神経化学会の先生方からのご指導・ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
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