ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 64(1): 50-56 (2025)
doi:10.11481/topics237

海外留学先から海外留学先から

米国ワシントン大学留学記

ワシントン大学

発行日:2025年6月30日Published: June 30, 2025
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はじめに

「I forgot everything」—これは、私が一番よく使っている英語であり、一番流暢に言える英語です。

私は、現在アメリカ・ワシントン州のシアトルにあるワシントン大学(University of Washington, UW)で、ポスドクとして研究をしています。2022年に渡米して、気づけばもう3年が経ちました。

本稿では、私自身の留学生活を振り返りながら、シアトルでの暮らし、大学や研究環境のこと、そして実際に海外で研究するということについて、少しでもリアルにお伝えできたらと思います。将来、海外での研究に挑戦してみたいと考えている方にとって、何かしらの参考や励みになれば幸いです。

海外留学を決意するまでの経緯

私は、学部・大学院ともにお茶の水女子大学に在籍し、宮本泰則教授のご指導のもと、分子生物学を基盤に神経科学の研究に取り組んできました。とくに外傷性脳損傷モデルを用いた神経細胞やグリア細胞の応答、炎症の分子機構に関心を持ち、博士課程まで一貫して「損傷と修復」をテーマに研究を続けました。学生時代には神経化学会の若手の会にも参加し、刺激的で尊敬する先生方のお話を伺ったり、同世代の研究者たちと意見を交わしたりと、貴重な機会に恵まれました。ここで出会った仲間たちとは、現在でも交流が続いており、キャリアの節目で支え合える貴重な存在です。

神経科学の研究を続ける中で、「心脳相関」という言葉に象徴されるように、脳と心臓の関係に興味を持つようになりました。博士課程修了を控え、国内外で次のポジションを探していたところ、偶然JREC-IN PortalでUWのポスドク公募を見つけました。分子細胞生物学のバックグラウンドを活かしつつ、新しい分野に挑戦できる点、そして何よりも「優しそうなボス」の雰囲気に惹かれ、思い切って応募しました。海外留学に背中を押してくれた研究室の先輩の「行って損はないよ!」という言葉や、「キャリアを積んでいく中で海外に出るタイミングは見失いがちになるから、いま行った方がいい」という言葉も、今振り返れば大きなきっかけでした。

アメリカでの最初の一歩:渡米直後の体験

渡米初日、空港には夜遅い時間にもかかわらず、ボスが車で迎えに来てくださいました。翌日には新居に向かい、広々とした共有スペースに感動したのも束の間、部屋ではお湯の出し方がわからず、インターネットの接続方法や鍵の閉め方にも戸惑いました。さらに、部屋の電気のスイッチが思っていた場所になく、ちょっとしたカルチャーショックを受けたのを覚えています。

その後、着任日までの約1週間は、アメリカでの生活を整えるために、Wi-Fiの契約や家具の購入、ソーシャルセキュリティカードの申請、銀行口座の開設、電話番号の取得など、慣れない手続きを一つずつこなしていきました。

着任日にラボに着くと、私のデスクトップには「WELCOME MARI」の文字…心温まる歓迎に、緊張も少し和らぎました。一方で、ITセキュリティの厳しいUWでは、初期パスワードの設定時にITセンターへ電話をかける必要がありました。「Capital A, lowercase b…」といった指示を受けた際、私は“capital”をそのままパスワードに入力して「capitalalowercaseb…」としてしまい、何度もエラーに。やがて“capital A”が「Aを大文字で」という意味だと気づき、ああ、これが英語環境の洗礼か…と初日にして実感しました。電話口のスタッフさんには何度も「capital…」を繰り返させてしまい、今も申し訳なく思っています。

University of Washingtonという研究環境

UWは、1861年に創立されたアメリカ西海岸最古の州立大学の一つであり、全米屈指の研究大学として高く評価されています。キャンパスはワシントン州シアトルの中心部から北東に位置し、四季折々の自然に囲まれた美しい環境の中にあります(写真1)。特に春になると、キャンパス内のQuadに咲く桜並木が満開となり、花見を楽しむ学生や市民でにぎわいます(写真2)。

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写真1 UWメインキャンパスを上空から

—豊かな自然と調和する、歴史あるキャンパス。

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写真2 ラボの集合写真

—毎年桜の時期に撮影。

広大なキャンパスには、歴史的建造物と近代的な研究施設が共存しており、なかでもSuzzallo Libraryは「知の大聖堂」とも呼ばれるゴシック建築の図書館で、まるで映画『ハリー・ポッター』のホグワーツのような雰囲気を感じさせます(写真3)。

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写真3 ホグワーツを彷彿とさせるUWの図書館

—観光地としても人気のSuzzallo Libraryにて。

研究面でも、UWはNIH(米国国立衛生研究所)からの研究資金獲得額が常に全米トップクラスにあり、医学、生命科学、工学、計算科学など多岐にわたる分野で世界的な研究成果を生み出しています。これまでに8名のノーベル賞受賞者を輩出しており、特に2024年にノーベル生理学・医学賞を共同受賞したDavid Baker教授は、同大学に設立されたInstitute for Protein Designを率い、タンパク質工学の分野で世界をリードしています。

このように、豊かな自然環境と都市機能、そして高度に発展した研究環境がバランスよく融合したUWは、国内外から優秀な研究者が集まる国際的な学術拠点となっています。

私が所属するラボは、UWメインキャンパスから車で約10分に位置するSouth Lake Union地区の医学部循環器内科(UW Medicine Division of Cardiology)です。このSouth Lake UnionはMicrosoftの共同創業者である故Paul Allenの支援もあり近年急速に再開発が進み、Amazon本社をはじめとするテクノロジー企業や、Fred Hutchinson Cancer Center、Gates Foundation、Allen Instituteなどの研究機関が集まる、シアトルの中でも特にサイエンスとイノベーションが盛んな地域で、最先端の医療・ライフサイエンス研究に触れながら、他分野との交流が日常的に行われる刺激的な環境です。

研究生活

そのような環境の中で、私は、fortilinというタンパク質が循環器疾患、特に心不全において果たす役割の解明に取り組んでいます。研究分野としては脳から心臓へと移行しましたが、分子生物学を基盤とするという点は変わらず、マウスを用いた心エコー解析や大動脈の処理など、新たな手法も日々学びながら研究を進めています。マウス、細胞、ヒト検体を扱う環境に恵まれ、多角的なアプローチで研究に取り組んでいます。

このDivisionには臨床研究者も多く、月に1回行われる合同ミーティングでは、基礎研究と臨床医学の視点が交差する活発な議論が展開されます。こちらのミーティングではランチボックスが出るのですが、アメリカで行われる講演会や勉強会などではピザやクッキーなどの軽食が用意されることが多く、ちょっとした「フリーフード争奪戦」が日常茶飯事です。ちなみに、軽食が出ない日の参加率は目に見えて下がる傾向も…。

現在所属するラボは、私を含むポスドク3名、リサーチサイエンティスト1名、学生ボランティア1名からなる小規模なチームで、互いに気軽に声をかけ合いながら研究を進めています。

ラボでは、それぞれの研究プロジェクトを進めるだけでなく、物品の注文やサンプルの受け取り、マウスの管理、学生の指導、共同研究の調整、さらにはグラント申請に至るまで、ラボ運営の全般に関わることができており、自立した研究者としての視野と経験を広げる貴重な機会となっています。

そんな折に挑戦したのが、American Heart Association(AHA)のポスドクフェローシップです。AHAは心血管や脳の健康に関する若手研究者を支援する全米規模の財団で、J-1ビザ保持者でも応募が可能です。

応募書類の作成は、私にとって初めての英語でのグラント申請という大きな挑戦でしたが、ボスやDivisionの先生方の温かいサポートを受けながら、何とか提出にこぎつけました。このフェローシップは、提出を通じても、研究者としての自立に向けた貴重な学びの機会であり、日々の研究に向き合う原動力にもなりました。無事に採択されたときは、達成感とともに、「一歩ずつでも前に進めている」と実感しました。

生活面でも、多くの温かいサポートに恵まれました。渡米前には、ボスの奥さまがアパートの候補をリストアップしてくださり、最終的にラボの斜向かい、Door to Doorで3分という理想的な立地の物件に入居することができました。

また、ラボの私以外のポスドク2人はインド出身で、日常的にインドの文化や生活習慣について教えてくれます。インドの光の祭典「ディワリ(Diwali)」の時期には、伝統的なお祝いに参加したり(写真4)、スパイスについての知識を深めたりするのが恒例となっており、ラボの近くにできたインド系スーパー「Mayuri」では、Masala(スパイス)の選び方について、熱のこもったレクチャーを受けることもしばしばです(写真5)。

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写真4 Happy Diwali—異文化を分かち合う、光の祭典の日。

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写真5 インド人のポスドクたちと

—学びとスパイスにあふれています。

中でも印象的だったのは、VAHDAM社の「Vedic Kadha Herbal Tea」と呼ばれるハーブティーで、彼らのおすすめを受けて試してみたところ、いままで飲んだことのない不思議な味と共に、なんとなく健康に良い感じのする味に驚きました。このおかげか、渡米後一度も風邪をひかずに過ごすことができ、今ではすっかり虜になっています。気がつけば、「次の長期休暇ではインドを訪れてみたい」と思うほどに、インドへの愛着心のようなものが湧いています。

シアトルに来てから、朝型の生活スタイルがすっかり身につきました。スターバックスをはじめ、多くのカフェが朝5時から営業しており、朝5時にランニングやジムに行ってから出勤する人も珍しくありません。私自身もその影響を受け、今では友人と朝にZoomでピラティスをしてからラボに向かうのが習慣になっており、7時には実験を始めています。

週末もこの朝型スタイルで過ごしています。土曜日は朝からラボで研究に取り組み、日曜日は朝8時からラグビーの練習に参加しています(写真6)。夏には屋外で開催されるZUMBAイベントなどにも参加し、アクティブに過ごしています(写真7)。

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写真6 2023年USジャパンカップの集合写真

—今年は初の女性選手として出場予定。

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写真7 ZUMBAの集合写真

—夏のシアトルで全力ダンス。

また、日系コミュニティによるポットラックパーティーにも頻繁に参加しており、国籍も職種も異なる多様な方々との出会いから多くの刺激を受けています。日本では出会えなかったであろう研究者、起業家、教育関係者、アーティストなどと交流する中で、自分の価値観や視野が日々少しずつ更新されていくのを感じています。

シアトルという街について

そもそもシアトルという街について、私は渡米前にどこにあるのかも知りませんでしたし、マリナーズくらいのイメージしかありませんでした。シアトルは、アメリカ北西部、ワシントン州最大の都市で、自然と都市機能が見事に融合した港湾都市です(写真8)。海と湖、そして緑に囲まれ、晴れた日にはレーニア山が望める風景が広がります。夏は湿気が少なく爽やかで日照時間も長く、夜9時ごろまで明るいため、仕事帰りに湖沿いを散歩したり、アウトドアを楽しむ人の姿もよく見かけます。一方で冬は雨の日が多く、日照時間も短いため、ビタミンDのサプリメントが欠かせません。

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写真8 シアトルの風景

—海と緑と山に囲まれた、美しく住みやすい街。

前述の通り、この街は、世界を代表する企業や研究機関が集積するイノベーション都市としても知られています。たとえば:

  • ・Amazon(1994年創業、本社:シアトル中心部)
  • ・Microsoft(1975年設立、現在の本社はシアトル近郊のレドモンド)
  • ・Expedia Group(旅行サイト大手、本社:シアトル)
  • ・Costco(1983年に初の倉庫をシアトルに開設)
  • ・Boeing(1916年創業、航空宇宙産業のパイオニア)
  • ・Starbucks(1971年に1号店をシアトルで開業)
  • ・Weyerhaeuser(全米最大の木材会社)

なども本社を構えています。

一方で、学術・研究機関も非常に充実しており、Allen Institute(脳科学)、Gates Foundation(国際保健や教育分野)といった、グローバルなインパクトを持つ組織が多数存在します。これらの機関は、UWとも積極的に連携しており、臨床から基礎研究、社会実装までをつなぐ架け橋のような役割を担っています。

私自身も、シアトルに来てから「研究だけでなく、社会や環境とどうつながっていくか」ということを考えるようになりました。自然の豊かさ、生活のしやすさ、そして研究や起業に対する熱量の高さが共存するこの街での日々は、まったりと進む日々の中に刺激があるという不思議な環境で、多くの気づきと学びを与えてくれています。

「シアトル日本人研究者の会」

シアトルでの研究生活の中で、私にとって大きな支えとなったのが、シアトル日本人研究者の会(Seattle Japanese Researchers’ Community)という日本人研究者のためのコミュニティでした(写真9)。このコミュニティは、COVID-19によって失われた研究者同士のつながりを取り戻すことを目的に、2020年にUWやFred Hutchinson Cancer Centerの研究者たちによって立ち上げられたもので、これを執筆している2025年5月現在では240名の方々が所属し、活発な情報交換が日々行われています。

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写真9 シアトル日本人研究者会・全員ピッチ会にて

—在シアトル日本総領事館での集合写真。

こちらのグループでは、「新しいアイデアは異分野との境界線上に生まれる」を理念に、2カ月に一度開催される研究発表会と日々交わされるFacebookグループでの情報共有を中心に活動しています。その理念の通り、研究発表会では生命科学、AI、心理学、国際関係といった多様な分野の研究者が集い、共通言語がない中で専門領域を越えた対話が行われています。また、Facebook上では研究内容に関する議論のみならず、渡米前の住まい探し、週末のスポーツ活動、生活の工夫など、留学生活に役立つ幅広い情報が共有されており、研究と生活の両面で頼れる存在でした。

私はこの中で、AI Meetupというワシントン州政府とUW共同主催のイベントで登壇し、自分の専門についてプレゼンテーションを行う機会を得ました。また、より深い学術的交流の場を設けるため、勉強会形式のオフ会を企画し、異なる分野の研究者同士が気軽に意見を交わせる環境づくりに努めました。さらに、2カ月に一度開催される研究発表会では運営メンバーの一人として参加者の対応を担当し、初めての参加者が安心して議論に加われるよう配慮しました。

こうした活動を通じて、私は日本にいたらなかなか得られなかったであろう貴重な経験もしています。海外に身を置いているからこそ、ポスドクという立場でありながら、東北大学の副学長や、UWの名誉教授であり東北大学の特任教授を務める方々と、対等に意見を交わす機会も得ることができています。日本国内であれば、立場の違いから一方的な関係になりがちなこうした方々とも、対話を通じて学び合える関係を築けたことは、私にとって大きな自信となり、研究者としての視野を大きく広げてくれています(写真10)。

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写真10 東北大学との交流会(自宅にて)

—研究者同士の語らいと温かなひととき。

学会発表という試練

2025年にシカゴで開催された学会で、2件の口頭発表に加え、3分ピッチ(Flash Talk)という形式での発表の機会もいただきました。

思い返せば学部時代、初めての国際学会では、ポスターを貼っただけで、質問には指導教員が対応してくださるという、なんとも情けない経験をしたことがあります(宮本先生、その節は本当にありがとうございました…)。そんな私が、今や英語で3本もの口頭発表を行うことになるとは——。2本の発表が終わってから私は感慨に耽っていました。

なかでも重要だったのが、Flash Talk。限られた時間でインパクトのあるメッセージを届ける必要があるため、準備には特に力を入れました。プレゼン資料は、発表に厳しい夫や学会に慣れた友人たちに何度も見せてフィードバックを受け、何度も練り直しました。「現時点ではこれ以上の仕上がりはない」と思えるほどの完成度になり、あとは本番に向けて「暗記するだけ…」という状態でした。

——いえ、正確には「暗記すべきではなく、構成を理解して資料と一緒に思い出せる状態にしておくべき」という助言もあったのですが、その忠告を受け流し、「とにかく暗記すればなんとかなる」と信じ込んでいたのです。

そして本番当日。緊張のあまり、一言目が思い出せず、そこから全てが分からなくなり準備していた原稿は頭からすっかり抜け落ち、壇上で私の口から出た言葉は、あの一言でした。

“I forgot everything.”

会場が一瞬で静まり返り、私はまさに「頭が真っ白」という状態を体感しました。まるで時間が止まったかのような3分間…「ああ、だからあの人は“暗記より構成”って言っていたのか…」という言葉が頭の中で反芻する余裕すらありました。

その時間は本当に地獄のようでしたが、同時に「人前での失敗こそが自分を変えるきっかけになる」ということを、これほど実感した経験はありません。その後、プレゼンの練習方法や原稿の向き合い方を根本から見直し、暗記ではなく、構成や意図を理解しながら話せる準備の大切さを学ぶようになりました。

それ以来、“I forgot everything.”は、私にとって「未熟さの証」であると同時に、「それでも挑戦を続ける勇気」を思い出させてくれる魔法のような言葉となりました(写真11)。

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写真11 “I forgot everything”の直後のハイチーズ

—何事もなかった顔をしていますが、この時の私の脳の微小環境は炎症状態でした。

留学環境の変化と今感じていること

アメリカへの研究留学は、最先端の環境で学び、国際的なコラボレーションの機会に恵まれる貴重なチャンスです。一方で、近年は政治や制度の変化に伴い、見過ごせないリスクも生じています。

2025年5月現在、J-1ビザの面接予約が一時的に停止されたとの連絡があり、私の所属するUWからも、すでに予約済みの方は念のため領事館に確認するように、また有効なJ-1ビザがあれば再入国は可能だが、期限が切れている場合には再入国できない可能性がある、といった注意喚起が共有されました。さらに、J-1ビザのポスドクが街を歩いていた際に職務質問を受け、拘束されたという報告もあり、私たちは常にDS-2019と所属証明書を携帯するようにしています。

また、大学内では採用の凍結が進み、研究費の獲得競争も厳しさを増しています。これから留学を検討されている方には、渡航先の財政的な安定性や、ビザ発給の遅延・トラブルに備えた代替プラン(ビザ待機中の在籍継続やリモート勤務)など、事前にしっかりと検討することをおすすめします。

それでも、アメリカの研究環境は今も非常に魅力的です。最先端の設備、多様なバックグラウンドを持つ人々、自由で柔軟な発想が日々交差する環境に身を置くことは、大きな学びと成長の機会をもたらしてくれます。だからこそ、「リスクはあるけれど、それでも行く価値がある」と納得できる準備と覚悟を持つことが、これからの留学にはより一層求められるのではないかと感じています。

おわりに

渡米してからの3年間、何度「I forgot everything」と口に出したかわかりません。でもそのたびに誰かが手を差し伸べてくれたり、自分でも思いがけない力を発揮できたりして、少しずつ、でも確かに前に進んでこられている気がします。

海外で研究することは、実験技術や英語力だけではなく、「わからないことに向き合い続ける力」を問われる日々です。うまくいかないことも多くありますが、それでも挑戦してみて本当によかったと思える時間を過ごしています。

このような機会を得られたのは、多くの方々の支えがあってこそです。基礎研究能力を鍛えてくださった、お茶の水女子大学の宮本泰則先生をはじめ、毛内拡先生、橋本恵先生、そして埼玉医科大学の吉川圭介先生には、留学前から温かいご指導をいただきました。渡米後には、ポスドクとして受け入れてくださったKen Fujise先生の存在が、私にとって大きな励みとなりました。

また、本稿執筆の機会をくださいました自治医科大学の山崎礼司先生、留学を経済的に支えてくださったお茶の水女子大学 海外留学支援奨学金制度にも、心より感謝申し上げます。

そして何よりも、どんな時も私を支え、笑顔で見守ってくれる家族と夫に、深く感謝の気持ちを伝えたいと思います。

これからもきっと、また「I forgot everything」と口に出す瞬間があると思います。でもその先には、きっとまた新しい景色が広がっている。そう信じて、歩みを続けていきたいと思います。

なお、「I forgot everything」とは言っても、周囲の方々からいただいている言葉と励ましの数々は、これからも決して忘れません。

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