ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 64(1): 63-66 (2025)
doi:10.11481/topics239

海外留学先から海外留学先から

Mayo Clinic Floridaでの留学生活

新潟大学脳研究所 脳神経内科・分子神経疾患資源解析学分野

発行日:2025年6月30日Published: June 30, 2025
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はじめに

私は脳神経内科医であり、新潟大学で大学院博士課程を修了した翌年、医師になって11年目にあたる2020年6月からフロリダ州にあるメイヨークリニックのLeonard Petrucelliラボに留学しました。COVID-19の蔓延下で渡米し、2年9か月の研究生活を経て、2023年3月に帰国しました。現在は、新潟大学脳研究所で、留学中に引き続いて、筋萎縮性側索硬化症(ALS)/前頭側頭型認知症(FTD)やポリグルタミン病を主体とした、神経変性疾患の分子病態研究を行っています。今後、海外研究留学をキャリアパスの一つとして考えておられる皆さんに、私の経験が少しでも参考になればと思い、寄稿させて頂きます。

留学の経緯

私は元々留学や海外への関心が特別強かったわけではありませんでした。そんな私が留学を一つの選択肢と考えるようになったのは、大学院博士課程に入学した後からでした。分子生物学的な手法から、神経変性疾患の病態研究に取り組む中で、もっと腰を据えて基礎研究に専念する時間がほしいと考えるようになりました。また、私は大学院生の時に、複数回国際学会に参加し、海外で自分の仕事を発表する機会に恵まれました。特に、Keystone SymposiaやGordon Research Conferenceといった小規模で、かつALS/FTDの病態研究の専門家が一同に会するような、濃厚なカンファレンスに参加した際に、世界には若くてもその才能を発揮している人達がいることを強く実感し、より広い世界を見てみたいと思うようになりました。そのような中、博士課程を修了した2019年5月に、日本神経学会学術大会が大阪市で開催された際に、当科(新潟大学脳神経内科学分野)の小野寺 理教授がALS/FTDやタウ、ポリグルタミン病の病態研究を行っているメイヨークリニックのLeonard Petrucelli教授をシンポジウムの講演者として招待しました。その際に、私自身の研究内容について、プレゼンテーションを行い、Petrucelli教授と直接ディスカッションする機会に恵まれました。そして、ポスドクとして、メイヨークリニックのPetrucelliラボに留学することになりました。さらに、同年9月には、夏休みを利用して、実際にフロリダ州ジャクソンビルにある、メイヨークリニックを訪れ、改めてPetrucelli教授や、さらにラボメンバーとも、面談や会食をして、翌年の春からの留学が正式に決まりました。

COVID-19パンデミック下での渡米

2020年2月頃よりCOVID-19が問題になり始めました。その中で留学の最終準備を進めていましたが、次第に米国でもCOVID-19感染が問題となり、メイヨークリニックのラボも一時的に閉鎖となりました。そのため、当初は2020年4月初めの渡米予定でしたが、一旦延期となり、結局、同年6月半ばに渡航することになりました。ジャクソンビルは北フロリダにある都市ですが、日本からの直行便はないため、私はテキサス州ダラスを経由し、日本から約18時間(新潟市からは20時間以上)かけて到着しました。当時は米国行きの国際線も大幅に運行便数を減らしており、ダラス行きの機内も人がまばらでした。ジャクソンビルに到着後は、生活のセットアップをしながら、2週間の自主隔離を行い、翌7月からメイヨークリニックのラボでの仕事が始まりました。

生活面に関して、アパートメントは渡米前(COVID-19の流行前)に契約していたため、渡米後すぐに居住することが可能でした。家電は家に備え付けであり、家具等の生活に必要な物を購入するお店や自動車のディーラー、銀行等は開いていたため、生活のセットアップに、大きな支障はありませんでした。一方で、公共機関は窓口業務を制限しており、社会保障番号や自動車運転免許の取得に関しては、通常よりも大幅に遅延していました。私の場合、フロリダ州の自動車運転免許を取得できたのは2020年の大晦日でした(国際免許があれば、1年間は現地で運転が可能なため、通勤や買い物には、渡米当初から自家用車を使用していました)。

研究面に関して、ラボでは、COVID-19の流行下でも、マスク着用と消毒を徹底した上で、ほぼ通常通りの研究活動が進められていました。また、ラボの全体ミーティングや、毎週のグループミーティングは基本的には対面で開催されていました。一方で、米国では、多施設の研究者によるカンファレンスのほとんどが、対面からオンラインに移行していました。そのため、朝実験をして、日中はカンファレンスに参加し、夕方からまた実験を再開するということもできましたし、米国内の各地で開催される様々な神経変性疾患関連のカンファレンスやミーティングに、オンラインで気軽に参加することができたという点はよかったと思います。

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COVID-19流行下のラボメンバーの様子

Mayo Clinic Floridaの特色

Mayo Clinicはジャクソンビルの中でも、ダウンタウンからは少し離れた比較的治安のよいエリアにあり、ジャクソンビルビーチまでは車で約15分と気軽に海を見に行ける距離にありました。ビーチから見える朝日や雲一つない青空は、ずっと日本海側の新潟で過ごしてきた私にはとても新鮮でした。

Petrucelli教授のラボは、筋委縮性側索硬化症やタウオパチー、ポリグルタミン病を中心に、疾患バイオマーカーの確立や治療を見据えた、神経変性疾患の病態研究に取り組んでいます。同じ敷地内にある、神経内科部門や神経病理部門との連携がとても密接であり、それらのリソースを活かすと同時に、常に“Bench to Bedside”を意識した研究ができる環境にあります。ポスドクやAssistant Professorの約9割が他国出身者という非常に国際色豊かなラボであり、さらにポスドクのバックグラウンドとなる分野も多彩でした。また、当初女性研究者が多いことにも驚きましたが、Petrucelliラボのみならず、欧米の生物学分野では、とくに若い世代で、女性のPh.D.や大学院生の割合が多いことを知りました。比較的人数の多いラボですが、皆フレンドリーで、お互いのプロジェクトについて気軽に議論を交わし、さらには協力し合って研究を進めていくことができました。

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ジャクソンビルの風景

また、留学して1年半ほどが経過した2022年1月に、ラボの引っ越しがあり、神経内科部門と同じ建物に移動し、よりバイオリソースにアクセスしやすくなりました。さらに、この新しい建物では、一つのフロアに4–5のラボが入り、隣のラボとの間に仕切りはなく、文字通り、ラボ同士の垣根を超えたとてもオープンなスペースと交流が印象的でした。

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2022年1月に引っ越したラボの様子

Leonard Petrucelli研究室での日々

Petrucelliラボには、教授の下に3人のジュニアPIがいて、各研究グループのリーダーであると共に、スーパーバイザーとして、私たちポスドクの相談に乗って下さる存在でした。欧米ではキャリアの過程で複数のラボを渡り歩くことが一般的と聞いていましたが、彼らは皆、元々Petrucelliラボのポスドクで、そのままAssistant Professorになっており、「ポスドクを育てる」というラボカルチャーが根付いていると感じました。私のスーパーバイザーは、スペイン出身のMercedes Prudencio博士という女性PIでした。研究室では、自分の研究テーマに関する実験やその検討を繰り返していましたが、その中で、実験結果を基にした仮説や次の戦略を、日々、Prudencio博士と直接ディスカッションできたことは、研究を進める上で重要であったのみならず、英語で自分の考えを素早くまとめて表出する上でのトレーニングにもなりました。また、Petrucelliラボでは、日本など米国外からの留学助成金は求められないものの、米国内の研究助成金を獲得することが強く推奨されました。私は米国ALS associationのポスドク向けの研究助成金(Milton Safenowitz Postdoctoral Fellowship 2020)を獲得し、2年9か月の留学期間中、2年間(2021年1月~2023年1月)はこちらの助成金から自分の給与を賄っていました。

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スーパーバイザーのPrudencio博士と

私の留学期間中、最初の2年間はCOVID-19による規制があったものの、少しずつ緩和され、Petrucelliラボでは、メンバーのお別れ会や何かイベントがあると、ピザや中華弁当をとって、皆で会食したり、ケーキを食べたりする会が時々開催されていました。また、留学最後の年には、COVID-19流行前まで恒例だったPetrucelli教授のご自宅でのクリスマスパーティーが再開し、ラボメンバーのファミリーとも交流できたことはとてもいい思い出になりました。

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Petrucelli教授宅でのクリスマスパーティー

帰国に向けて

私は、留学3年目に入った2022年夏頃に、自分が筆頭著者である論文のfirst submissionが終わり、仕事がまとまる目途がついたことに加え、あまり長く臨床を離れることへの不安や自分の家族・ライフプラン等を考え、帰国を決めました。Petrucelli教授やPrudencio博士に相談し、論文のリバイズを終わらせた上で、2023年春の帰国を目指して調整することになりました。その後、新潟大学脳研究所の公募に応募し、2023年4月より新潟大学脳研究所分子神経疾患資源解析学分野の助教として着任することになりました。

帰国の準備は、渡米の時と比べると短期間で終わり、家具は退役軍人の団体に寄付し、車はポスドク仲間が購入してくれました。COVID-19の影響で、私は留学期間中、一度も日本に一時帰国することはできませんでした。2年9か月ぶりに新潟駅の新幹線ホームに降りたときは、無事に故郷に戻って来られたことに安堵すると同時に、長い旅から帰ってきたような感覚になりました。

最後に

米国に留学して、研究面でとくに印象的だったことは、メイヨークリニック内の連携に留まらず、欧米の他のラボとのコラボレーションが非常に盛んなことでした。インフォーマルなミーティングが頻繁に開催され、情報やホットなデータを共有し、互いのラボ間で協力し、研究内容の質を高め合って、よりよい仕事にしていくというスタンスなのだと学びました。そのようなコラボレーションの輪の中に、外国から入っていくことは少しハードルが高く感じる側面もありますが、それでも、どうしたら日本から世界を相手にした仕事をして、さらには継続して発信できるのか、考え続けていく必要があると感じます。そして、私にとっては、人生のひと時を、ある意味「非日常的」な環境で過ごし、そこに行かなければ出会えなかった人達と接し、交流を深められたこと自体が、留学の大きな財産であり、その経験は自分の人生を少し豊かにしてくれたと感じています。

最後に、私を温かく迎え入れてくれたPetrucelliラボのメンバーと、研究の基礎をご指導頂き、留学にあたり快く送り出して下さいました、新潟大学の小野寺 理教授と脳神経内科・分子神経疾患解析学分野の諸先生方に、心から感謝致します。

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