ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 64(1): 67-73 (2025)
doi:10.11481/topics240

私と神経化学私と神経化学

ドレブリンと歩んだ神経化学の道

1アルメッド株式会社 代表取締役

2群馬大学名誉教授

発行日:2025年6月30日Published: June 30, 2025
HTMLPDFEPUB3

第一章 はじめに

神経化学との出会いは、私が大学院生だった頃にさかのぼる。今からおよそ半世紀前、私は神経化学を専攻する道を選んだ。それが、のちのドレブリン発見へとつながる始まりであった。時代は少し遡るが、当時の神経化学の最先端技術をどのように生かしてドレブリンの発見に至ったのかを中心に本稿を執筆したいと思う。

ドレブリンは、「発達により制御されている脳タンパク質(developmentally regulated brain protein, drebrin)」として、私が二次元電気泳動法を用いて同定し命名したタンパク質である。ドレブリンはアクチン結合タンパク質であり、神経細胞の成熟に伴って細胞内での局在や役割が変化する。発生初期の未成熟な神経細胞では、ドレブリンEアイソフォームが主に発現しており、細胞の移動や突起の成長を制御している。やがて神経細胞が成熟すると、アイソフォームの変換が起こり、ドレブリンAアイソフォームの発現が優位となる。ドレブリンAは主に樹状突起スパインに局在し、シナプス可塑性—すなわちシナプスの構造的および機能的変化の柔軟性—を制御している。我々は、このドレブリンAが記憶の形成と維持において極めて重要な役割を担っていることを、長年の研究を通じて明らかにしてきた。神経細胞以外に発現しているドレブリンEアイソフォームについても、国内外で多くの研究が行われている。このように、神経化学という学問はたとえ一つのタンパク質の発見がきっかけであっても、そこから多層的で奥深い研究の広がりを見せる分野なのである。

私は2020年に群馬大学を退職し、40年以上続けてきた基礎研究の一区切りを迎えた。その後、東京大学本郷キャンパス内のアントレプレナーラボに研究室を構え、創薬ベンチャーであるアルメッド株式会社を設立した。アルツハイマー病では様々なタンパク質の量的な変化が報告されているが、軽度認知障害(MCI)の初期段階からドレブリンの減少が認められることが、死後脳研究により明らかになっている。アルメッド社は、可塑性に重要なドレブリンAアイソフォームをターゲットとしてMCI診断法と治療薬の開発を進めている。MCIの段階で記憶障害の原因となるシナプス機能不全を捉え、記憶障害を治療する薬の実用化を目指している。

第二章 私の神経化学ことはじめ

私は1980年に群馬大学医学部を卒業してすぐに大学院に進学し、薬理学教室の小幡邦彦教授のもとで研究を始めた。多くの教授と面談を重ねたが、神経化学の世界へ本格的に踏み出すきっかけを与えてくれたのが、小幡教授だった。

医学部生だった頃、解剖実習で向き合った脳は、ただの灰色の塊にしか見えなかった。しかし、小幡先生が見せてくださった、NGF刺激によって後根神経節(DRG)から軸索がダイナミックに伸びていく様子を見た瞬間、私は強烈な衝撃を受けた。これこそが、自分の進むべき道だと直感した。それ以来、神経化学の研究に没頭し、気づけば45年という歳月が流れていた。

小幡教授は、東京大学医学部の大学院生時代に、アミノ酸であるGABAが中枢神経系の抑制性神経伝達物質であることを世界で初めて証明した電気生理学者である。その後、渡米して新たな研究に取り組んだ。私の想像であるが、この時に小幡先生は神経化学と出会ったのではないだろうか。帰国後、東京医科歯科大学薬理学の大塚正憲教授のもとで助教授としてサブスタンスP研究に参画した。そして、群馬大学に異動してからは「神経化学領域ではすでにアミノ酸やペプチドの時代は終わり、これからはタンパク質の時代だ」と語り、タンパク質研究を開始していた。

私は大学院進学後の最初の1年間、東京大学医学部薬理学教室にて、江橋節郎教授の研究室で学ぶ機会を得た。江橋先生(研究室内では「大先生」と呼ばれていた)は、カルシウムイオンが細胞内情報伝達のシグナルであることを世界で初めて示し、筋収縮に関わるアクチン結合タンパク質「トロポニン」の発見者として知られる偉大な科学者である。東大退官後には、岡崎国立生理学研究所に移り、日本で初めて「神経化学」の名を冠した研究部門を創設されたことでも有名である。江橋先生の研究室では大学院生に対する教育方針が非常に厳格かつ体系的であった。Lowry法によるタンパク定量、ミオシンリン酸化酵素活性の測定、アクチンの精製といった一連の生化学基礎技術を完全に習得するまで、正式な研究テーマを与えられることはなかった。

私は小濱一弘先生(後の群馬大学医学部薬理学教授)の指導のもと、これらの基本技術を短期間で習得した。そして製薬企業が開発を進めていた筋ジストロフィー治療の候補化合物E64Cがアクチンやミオシン代謝に及ぼす影響を調べるプロジェクトに取り組んだ。実験には培養筋細胞を用いた。この時私は、三川隆先生(後のコーネル大学医学部解剖学教授)からミニスラブを用いた二次元電気泳動法を学ぶ機会を得た。この技術は、当時としては極めて先進的であり、のちにエンドセリンを発見する真崎筑波大学教授が、わざわざその見学に訪れるほどであった。そしてこの技術こそが、私がドレブリンを発見するうえで決定的な役割を果たすこととなった。

東大での研修を終えて群馬大学に戻ると、小幡教授から「ラット坐骨神経の再生過程を担う軸索タンパク質の同定」という研究課題が与えられた。当時、軸索輸送研究で有名だった東大脳研生化学部門の小宮義璋先生(後の群馬大学医学部分子病態学教授、神経化学会理事長)から、ラット坐骨神経軸索の破砕法およびSDS-PAGE用のサンプル作りの技術を教わった。しかし実際にこの技術を自分の研究に応用しようとすると、いくつかの困難が立ちはだかった。軸索切断時の障害の程度やサンプル収集時における髄鞘の破砕率を定量的に行うことが難しいために、軸索再生時に増えるタンパク質をうまく同定できなかった。そこで、私は再現性のより高い実験系として神経系の発生・発達過程に注目し、各段階で特異的に発現するタンパク質を同定することとした。

この時私は実験材料をラットからニワトリ胚へと切り替えることにした。ニワトリ胚は、有精卵を孵卵器に入れて既定の時間だけ孵卵すれば、各発生段階の組織を高い再現性で得ることができ、しかもタンパク質の抽出も比較的容易であった。しかし、その一方で新たな課題も浮かび上がってきた。脳をSDS処理すると、発生過程の脳の高濃度のDNAの影響で粘性が高く、サンプルは非常に扱いづらかった。ところが、二次元電気泳動を使って解析すると、この問題は驚くほど容易に解決された。これが結果的にドレブリンの発見へとつながったのである。

第三章 ドレブリン発見への道のり

3-1. 独自の戦略が導いたドレブリン発見

私は研究対象として、構造や機能が比較的単純で、発生過程がすでによく研究されていたニワトリ胚の視蓋を選んだ。視蓋は孵卵4日目から摘出可能であり、孵化に至る21日目までの各段階を幅広く研究対象とすることができた。

当時神経化学分野では、脳のタンパク質を電気泳動で解析する際、脳組織を水不溶性と水可溶性の画分に分けて調べる方法が主流であった。また、あるタンパク質の濃度は、サンプル中の総タンパク質量に対する比率で表現されていた。しかし私はあえて脳組織を分画せずに解析を行った。さらに、タンパク質量を組織の湿重量あたりで表記し、組織内における絶対量の経時変化を追った。そして脳組織の単位湿重量当たりのタンパク量が大きく変化するタンパク質、すなわちドレブリンを発見するに至った。

当然、この方法は学会発表や論文投稿の際に議論の的となった。そこで私は、発生過程のニワトリ脳組織から作成した二次元電気泳動用のサンプル中には、組織中のタンパク量の90%以上が抽出されていることを実証して、他の研究者を説得した。

後になってわかったことだが、ドレブリンはアクチン線維に結合しているときは不溶性画分に、アクチンから離れると水可溶性画分に存在していた。この「分画せず、湿重量あたりで解析する」という一見型破りな戦略は、後にその正しさが実証されたのである。もしあの時、脳組織を慣例通り分画して解析していたら、ドレブリンというタンパク質に出会うことはなかったかもしれない。

3-2. 神経細胞移動や神経突起成長の指標となるタンパク質の発見

二次元電気泳動法は当時の画期的な先端技術であり、一次元電気泳動では分離不可能だったタンパク質を、個別のスポットとして可視化・識別できた。当時、脳の発達過程を二次元電気泳動法で解析していた研究グループは我々以外にも複数存在していた。しかしその多くは、水可溶性画分のタンパク質組成の相対的変化を網羅的に調べることにとどまることが多かった。網羅的解析は現在でも重要な研究手法であるが、その結果を深く掘り下げていくには、現時点で利用可能な技術に基づき、適切な研究対象を見極める力が求められる。我々のケースに当てはめれば、二次元電気泳動法によって分離された多数のタンパク質の中から、どのスポットを研究対象として選ぶかが、その後の研究の成否を左右する極めて重要な分岐点であったわけだ。

当時は、「量が多く、普遍的に存在するタンパク質は、構造上のありふれた成分に過ぎない」とされ、むしろ検出が困難なタンパク質のほうが重要であると考えられていた。そのため、量が多く目立つスポットよりも、むしろ小さなスポットを研究対象に選ぶ傾向があった。実は私もそのような考えに縛られていた。しかしそのとき、小幡先生から「精製できなければ、次には進めない」との助言をいただいた。この助言は江橋先生の教えとも通じるものであり、結果的にドレブリン発見への大きな転機となった。

江橋先生が筋肉を研究対象に選んだ理由は、あるタンパク質を精製するには、均一な細胞集団を大量にたやすく集めることが必須であったからである。例えば、ニコチン性アセチルコリン受容体の研究が進んだのも、電気ウナギの発電器官からタンパク質を精製できたからである。そこで私は、脳内に比較的多く存在し、精製の見込みが高いタンパク質を標的とする方針を立てた。

こうした背景から、私はあえて感度の高い銀染色や放射線標識ではなく、感度の劣るクマシー・ブリリアント・ブルー(CBB)染色を用いた。そして、CBB染色で明瞭に検出できるほど量の多いタンパク質に着目した。これらのタンパク質スポットに番号を付け、発生過程における変化を詳細に調べた。その結果、スポット5番(S5)と6番(S6)を主要な解析対象とした。S5は、視蓋における細胞移動の時期(孵卵4日から7日)に多くその後減少した。S6は神経突起成長の時期(孵卵11日から16日)に多く、やはりその後減少するという一過性の変化を示した。これらのことから、S5およびS6は、神経組織の発生過程を特徴づけるタンパク質であると判断された。比較対象として、非神経組織の代表である肝臓を用いて二次元電気泳動を行ったところ、S5およびS6は検出されなかった。この結果は、これらのタンパク質が神経細胞の発生時期に特異的に発現していることを示唆していた。

1982年、大学院3年生になった私は、日本神経化学会大会にデビューして、「ニワトリ視蓋の発生過程における蛋白の組成変化・二次元電気泳動による分析」という演題発表を行った1)。その当時、神経化学会大会の予稿集は論文形式であり、今のような抄録集ではなく、論文集であった。つまり、演題発表には厳しい審査があり、採択されて掲載されれば審査付き論文として認められていたので、和文ではあるが事実上初めての論文発表となった。

3-3. ドレブリンの精製と脳型ドレブリンAの発見

私は、S5とS6の精製に取り掛かった。S5とS6は二次元電気泳動上では周りのスポットから明瞭に分離されており同定が容易だった。その為、視蓋のみならず全脳を対象としたサンプルの二次元電気泳動上でも同定可能であったため、精製の出発材料として孵卵11日のニワトリ胚の脳全体を用いた。タンパク質の精製には、硫安分画法、等電点沈殿法、イオン交換クロマトグラフィーなどの複数の手法を組み合わせて実施した。通常、目的とするタンパク質の活性がわかっていれば、それを指標として精製の進度を評価できる。しかし、S5やS6の場合は二次元泳動法のみが同定手段であった。そこで私は、二次元泳動上のスポット濃度の変化を直接の指標とする、常識外れのアッセイ法を考案したのである。S5やS6の精製を進める過程で、同じ画分に回収されて徐々に濃縮されてくる別のスポットS54の存在に気づいた。このスポットは、S6が減少したのちに増えてくることがわかったが、孵卵11日時点ではその量はごくわずかであった。まず、S5およびS6を精製し、ペプチドマッピングを行った。その結果、両者は非常に似たタンパク質であった。S5とS6の精製に成功した私は、「Two acidic proteins associated with brain development in chick embryo」と題した論文をJournal of Neurochemistryに投稿した。編集長から「内容は掲載に値するものであるが、発達期のタンパク組成の変化を二次元電気泳動で詳細に解析したことに主眼を置いた論文として発表する方がよいのではないか」との提案を受けた。振り返れば、この時よくレフェリーとのやり取りを頑張ったものだと思う。私は果敢にも編集長の提案を断って、S5とS6の精製を主題とした論文として出版し、神経化学の国際誌へのデビューを果たした2)

のちにS54を成鶏から精製してペプチドマッピングをした結果、やはりS54はS5やS6と非常に似たタンパクであることがわかった。そこで、S5、S6、そしてS54に対して、「developmentally regulated brain protein」の語に由来する共通名称drebrin(ドレブリン)を与えた。さらに、発生過程において多く発現するS5およびS6をdrebrin E(embryonic type)、成熟後に多くなるS54をdrebrin A(adult type)と分類・命名した3)

第四章 ドレブリン発見後の研究の展開と現在

ドレブリンに対する研究をさらに進めるため、ニワトリのS6を抗原として複数のモノクローナル抗体を作成した。その中で、実験シリーズMの第2プレートF6ウェルから得られたM2F6クローン由来の抗体を、以後の研究で主に使用した。この抗体は、ニワトリ由来のタンパク質を抗原として作製されたにもかかわらず、マウス、ラット、ヒトのドレブリンも交差的に認識する性質を持っていた。この抗体はドレブリン研究のデファクトスタンダードとなっている。現在では、「M2F6-Shirao®」という名称で、オリジナルのハイブリドーマ細胞株由来の高品質抗体として市販されている。

免疫染色の結果、神経細胞のドレブリンEは、発生過程では移動中の細胞の膜直下に広く分布し、突起成長中の細胞では突起の先端に集まっていることがわかった。二次元電気泳動での結果から予測された通り、ドレブリンEはこれらの時期特異的に強く発現することが確認された。一方、成熟した神経細胞では、ドレブリンAがシナプス後部構造である樹状突起スパインに集積することが明らかとなった4)

大学院卒業後、私は群馬大学の小幡先生のもとで助手(現在の助教)として研究を始めた。その2年後には、コーネル大学にポスドクとして渡り、2年間の研鑽を積んだ。私がドレブリン研究を離れたのは、この2年間だけだ。帰国後、小幡先生が江橋先生の後任として生理学研究所の神経化学部門に異動した。それとともに私も生理学研究所に赴任し、ここでも様々な最先端技術を利用した。最先端技術である全自動DNAシークエンサーを使って、ニワトリのドレブリンゲノムの配列決定とラットのドレブリンのcDNA配列の決定を行った。この時期に、月田先生、大森先生、阿形先生などの錚々たる顔ぶれから最先端技術を教えていただいたことが懐かしい。私にとって最もインパクトのあった研究は、今では当たり前の技術となっている強制発現実験だ。ラットドレブリンcDNAをLCellなどに強制発現させたところ、細胞骨格が大きく変化して、長い突起を伸ばしてまるで神経細胞のような形態になったのである。これは当時では驚くべき画期的な実験結果であった。当然のことながら、Natureに投稿した。すると、「大変に面白い研究であるが、極東の一研究室でしか行われていない実験である」という理由でRejectされた。いまであればレフェリーに文句の手紙を書いたと思うが、その時はすごすごと引き下がってしまい、NeuroReport誌に投稿したところ、大変高い評価を得てそのまま掲載された5)。この出来事はいまでは笑い話にしているが、もしこの段階でドレブリンが脚光を浴びていたら、じっくりと我々の研究室だけで詳細な研究を続けられていなかったであろう。

その後慶応義塾大学医学部生理学の助教授(今の准教授)となり、多くの優秀な若手研究者らとともに、ヒトドレブリンのcDNA配列と染色体の位置を決定することができた6)。幸運にも、私は38歳で母校である群馬大学医学部教授となった。多くの先生方や優秀な若手研究者との出会いのおかげであると感謝している。

教授に就任してからの27年間は、振り返れば瞬く間であったが、その間にドレブリン研究は大きく進展した。中枢神経細胞は脳から単離しても電気活動を維持できることが受け入れられてきて、さらに中枢神経細胞の培養法が徐々に改良されてかなり一般的な技術として広く使われるようになっていた。こうした技術的背景を受けて、私は大脳皮質の初代神経培養細胞を用いた実験を開始した7)。しかし、この方法ではグリアとの混合培養となるため、アクチンとドレブリンを二重染色しても、グリアのアクチン染色が邪魔になり、神経細胞内におけるドレブリンとアクチンの共局在を明確にしめすことが困難であった。そこで、日本では当時まだ誰も導入していなかったBanker法(グリアを含まない神経細胞の低密度培養法)を採用することにした。当時助教授であった関野祐子先生(現東京大学特任教授)が米国ボーラム研究所のBanker研を訪ね直接指導を受けて技術導入した。当時大学院生であった高橋秀人先生(現モントリオール臨床研究所IRCMシナプス発達・可塑性研究ユニット ディレクター)とともに私の研究室でBanker法による培養系を立ち上げた。この導入は、その後の私の研究方向を決定づける重要な転機となった。それまで樹状突起スパインはゴルジ染色法により形態解析されていた。スパイン形成過程については、いくつもの仮説が提唱されていたが、シナプス形成過程において樹状突起から突出するフィロポディアに他の神経細胞軸索末端が接触し、そこにドレブリンが集積を始めるとマッシュルーム型スパインになることをBanker法での低密度培養でシナプス形成期のドレブリンの局在変化とPSD95の発現を調べることで明らかにした8)。この発表以降、平らな樹状突起幹に軸索先端が接触して突起を引っ張り出して樹状突起スパインが形成されるというような仮説は消滅したのである。

海馬神経細胞の低密度培養法を用いた実験により、ドレブリンがどのようにシナプス可塑性に関与しているかを詳細に検討することができた。NMDA受容体が活性化すると、樹状突起スパイン内に局在していたドレブリンはスパイン外へ移動し、樹状突起幹に一時的に分布する9)。この現象をのちに「ドレブリンエクソダス」と命名した10)。ドレブリンエクソダスは可塑性の開始のために非常に重要な現象である。シナプス可塑性のうち長期増強(LTP)では、ドレブリンは再びスパインに戻り、シナプス後部に挿入された新しいグルタミン酸受容体の安定化に関与する。一方、長期抑制(LTD)では、スパインから抜け出たドレブリンは樹状突起幹にとどまり、スパイン内には戻らない。その結果、シナプス後部のグルタミン酸受容体数の減少が生じる。ドレブリンとシナプス可塑性の関係は、遺伝子改変マウスを用いた研究によって実証された11–13)。さらにこの成果は、ヒト病理標本を用いたアルツハイマー病研究において既に明らかとなっていた「認知障害とドレブリンの減少との相関」について、メカニズムを解明する端緒ともなった。これらの結果は、ドレブリンがヒトの記憶形成にとって極めて重要なタンパク質であることを示しており、私が創薬ベンチャーを立ち上げるに至った礎となっている。

第五章 おわりに

私は、「ドレブリン」という名称がいまなお世界で通用していることに、大きな誇りを感じている。なぜなら、日本人が初めて発見したものであっても、国際的な研究競争のなかで、命名権が海外研究者に移り、名称が書き換えられてしまうことが少なくないからである。また私は、drebrinをDrebrinではなく、あえて小文字で始めていることにも強いこだわりがある。なぜなら、アクチン(actin)やトロポミオシン(tropomyosin)といった、「量が多く、普遍的に存在するタンパク質」は、すべて一般名称として小文字で始まっているからである。これらのタンパク質は、構造的には「量が多く、ありふれた成分」と見なされるかもしれない。しかし、細胞機能にとっては普遍的かつ不可欠な存在であるため、一般名称として小文字で記されている。ドレブリンが単なる固有名詞で終わることなく、生命機能の維持に不可欠な一般名称として広く認知されることを願って命名した。時々Drebrinと大文字で表記している論文を見かけるが、皆さんは是非drebrinと小文字で表記していただきたい。

本稿では、大学院生時代のドレブリンの発見について詳細に述べさせていただいた。最後まで読んでくださった読者の方々にお礼を申し上げたい。本稿を締めくくるにあたり、ひとつ強調しておきたい。それは、神経化学という分野は決して過去の学問ではなく、今なお新たな発見と展開を生み出し続けている分野であるということである。

謝辞Acknowledgments

本稿執筆の機会を与えてくださった神経化学会の出版・広報担当理事の澤本和延先生に感謝いたします。また、執筆にあたり多大なご助力をいただいた小幡門下生の関野祐子先生に深謝いたします。

(2025年5月原稿受理)

引用文献References

1) 白尾智明,小幡邦彦.ニワトリ視蓋の発生過程における蛋白の組成変化・二次元電気泳動による分析.神経化学,21, 255–257 (1982).

2) Shirao T, Obata K. Two acidic proteins associated with brain development in chick embryo. J Neurochem, 44(4), 1210–1216 (1985).

3) Shirao T, Kojima N, Kato Y, Obata K. Molecular cloning of a cDNA for the developmentally regulated brain protein, drebrin. Brain Res Mol Brain Res, 4(1), 71–74 (1988).

4) Shirao T, Obata K. Immunochemical homology of 3 developmentally regulated brain proteins and their developmental change in neuronal distribution. Brain Res Dev Brain Res, 394(2), 233–244 (1986).

5) Shirao T, Kojima N, Obata K. Cloning of drebrin A and induction of neurite-like processes in drebrin-transfected cells. Neuroreport, 3(1), 109–112 (1992).

6) Toda M, Shirao T, Minoshima S, Shimizu N, Toya S, Uyemura K. Molecular-cloning of cDNA encoding human drebrin E and chromosomal mapping of its gene. Biochem Biophys Res Commun, 196(1), 468–472 (1993).

7) Hayashi K, Shirao T. Change in the shape of dendritic spines caused by overexpression of drebrin in cultured cortical neurons. J Neurosci, 19(10), 3918–3925 (1999).

8) Takahashi H, Sekino Y, Tanaka S, Mizui T, Kishi S, Shirao T. Drebrin-dependent actin clustering in dendritic filopodia governs synaptic targeting of postsynaptic density-95 and dendritic spine morphogenesis. J Neurosci, 23(16), 6586–6595 (2003).

9) Sekino Y, Tanaka S, Hanamura K, Yamazaki H, Sasagawa Y, Xue Y, Hayashi K, Shirao T. Activation of N-methyl-D-aspartate receptor induces a shift of drebrin distribution: Disappearance from dendritic spines and appearance in dendritic shafts. Mol Cell Neurosci, 31(3), 493–504 (2006).

10) Mizui T, Sekino Y, Yamazaki H, Ishizuka Y, Takahashi H, Kojima N, Kojima M, Shirao T. Myosin II ATPase activity mediates the long-term potentiation-induced exodus of stable F-actin bound by drebrin A from dendritic spines. PLoS One, 9(1), e85367 (2014).

11) Kojima N, Hanamura K, Yamazaki H, Ikeda T, Itohara S, Shirao T. Genetic disruption of the alternative splicing of drebrin gene impairs context-dependent fear learning in adulthood. Neuroscience, 165(1), 138–150 (2010).

12) Kojima N, Yasuda H, Hanamura K, Ishizuka Y, Sekino Y, Shirao T. Drebrin A regulates hippocampal LTP and hippocampus-dependent fear learning in adult mice. Neuroscience, 324, 218–226 (2016).

13) Yasuda H, Kojima N, Hanamura K, Yamazaki H, Sakimura K, Shirao T. Drebrin isoforms critically regulate NMDAR- and mGluR-dependent LTD induction. Front Cell Neurosci, 12, 330 (2018).

This page was created on 2025-07-04T08:40:54.917+09:00
This page was last modified on 2025-10-23T08:57:49.000+09:00


このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。