ISSN: 0037-3796
日本神経化学会 The Japanese Society for Neurochemistry
Bulletin of Japanese Society for Neurochemistry 61(1): 25-31 (2022)
doi:10.11481/topics170

海外留学先から海外留学先から

チャームでスリルな街、ボルチモアから

Neurocircuitry of motivational section, National Institute on Drug Abuse

発行日:2022年6月30日Published: June 30, 2022
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私は2020年3月より、National Institute of Health(NIH)の1つであるNational Institute on Drug Abuse(NIDA)に留学しています。本稿では、NIDA所在地のメリーランド州ボルチモア、現在の私の研究環境、私の留学の経緯とその経験を元に今後留学を検討されている方へのメッセージ、及びアメリカに来て感じた日本との研究環境の違いについて紹介します。

メリーランド州ボルチモア

NIDAはNIH本部のあるベセスダキャンパスではなく、ボルチモア東部のジョンズホプキンス大学病院ベイビューキャンパス内にあります。NIDAの研究棟はNational Institute on Aging(NIA)も入るNIH基礎研究部門の支部になります(写真1)。ボルチモアはメリーランド州最大の都市で、港湾都市として発展してきましたが、貧困層の拡大と共に犯罪率が上昇し、アメリカ国内でも屈指の治安の悪さで有名です。実際、市街地の雰囲気は怖く、手放しに素晴らしい街と紹介できないのですが、300年近い歴史のある街で、街のいたるところにアメリカの歴史・文化を学べる場所があります(写真2)。

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写真1 NIDAとNIAの基礎研究棟

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写真2 ボルチモアのワシントンモニュメント

また、観光業にも力を入れており、観光の中心地であるインナーハーバー周辺には大型の水族館、博物館、ショッピングモールが立ち並び、観光客で賑わっています。その西側にはMLBオリオールズの本拠地カムデンスタジアム、NFLレイブンズの本拠地M&Tバンクスタジアムがあり、試合の日は町全体が盛り上がります。

名物グルメといえば、ブルークラブと呼ばれるワタリガニの一種があります。一般的な食べ方は丸ごと茹でたブルークラブにOLD BAYという調味料をたっぷりかけて、木槌で割って中の身を食べます。ビールのおつまみには最高です(写真3)。その他にも、ブルークラブの身を使ったクラブケーキは、ツミレ揚げのようなもので、お店によってバリエーションがあります。メリーランド州ではブルークラブの熱狂的な愛好家がいて、多くのレストランで提供されています。ぜひ近くにお越しの際は試してみてください。ただ、個人的には日本のカニの方が格段に美味だと思います。

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写真3 ブルークラブとOLD BAY

ボルチモアはジョンズホプキンス大学、メリーランド州立大学、また、NIDA、NIAなどNIHの研究施設もあり、研究教育が盛んな学術研究都市としても有名です。大学や研究所間の交流も盛んで、神経系の研究をする大学院生、ポスドクで構成されるセミナーグループもあります。私はNIH所属なのでNIHの日本人が主宰するNIH金曜会にお世話になっており、頻繁に開催されるセミナーや懇親会を通じて、ベセスダキャンパスに所属されている日本人の方々とも交流させて頂いています。執筆時点ではボルチモアの日本人研究者とあまり出会えておりませんが、ボルチモアも日本人研究者コミュニティーであるJapanese Science Seminar in Baltimore(JSSB)という会があり、日本人の研究者や留学者が多いのだろうと思います。JBBSはコロナの影響で、2022年4月現在は活動が停止していますが、1日も早く活動が再開され、日本人研究者のネットワークが広がることを望んでおります。余談ですが、私は、ロックビル周辺の日本人を中心としたバスケットボールクラブに、月に何度か参加させていただいており、部活動のような感覚でバスケットボールを楽しんでいます(写真45)。このクラブの参加者もそうですが、メリーランド州やDC周辺には研究者だけでなく、企業の駐在員、官公庁からの出向、国際的な機関の職員など、様々な職種の方々と交流できるのでとても面白いです。

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写真4 バスケットボールクラブ エイティーワンズの皆さん。筆者は中列左から2番目

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写真5 バスケットボールクラブ エイティーワンズの皆さん。前列左から2番目

少し殺伐としているボルチモアの市街地ですが、郊外に出ると、アメリカの雄大な自然が堪能できます。州立、国立の自然公園はかなり整備が行き届いており、様々なアウトドアアクティビティやBBQを楽しめます。私もこちらに来て始めたロードバイクに乗ってボルチモア郊外を走り、アメリカの田舎道や広大な農場の風景を楽しんでいます。また、メリーランド州には有名なアパラチアン山脈に沿う長距離自然道が通過しており、その一部を楽しむことができます。近郊のワシントンDC、ヴァージニア州、ウェストバージニア州、ペンシルベニア州など、ちょっとドライブすれば行けますので、アメリカの様々な街並みや自然を手軽に楽しめます(写真6)。気候も日本と同じように四季がありますが、湿度が低く、過ごしやすいです。夏の気温の高い日でも、日陰に入ればそれほど暑くありません。時折の暴風雨や冬の大雪などもありますが、この快適な気候だけでもアメリカに来て良かったと思えます。ボルチモアは住む場所や行動に気を付ければ、アメリカの様々な顔が見える魅力的で味のある街だと思います。

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写真6 ワシントン記念塔から見たDCの街並み

Neurocircuitry of motivational section(池本研究室)

ここでNIDA/NIHと私の所属する池本研究室についてご紹介します。NIHはご存知の通り全米屈指の医学研究施設であり、日本がバックグラウンドの研究者や日本からの留学生も多数所属しています。NIDAは名称の通り、依存性薬物、物質の作用メカニズムの解明や治療法、治療薬の研究開発に取り組むNIHの27研究所の1つです。薬物依存というと、日本ではあまり注目されていない研究分野ですが、アメリカでは薬物依存に苦しむ人口の割合が非常に大きいこともあり、重要な研究課題とされています。ちなみに、日本でも盛んなアルコール依存症の研究はNational Institute on Alcohol Abuse and Alcoholism(NIAAA)という別の研究所で行われています。

池本研究室は研究室名の通り、報酬や動機に関わる神経回路の研究を行っています。池本 聡先生は実験心理学から神経科学の世界に入られ、主に中脳ドパミン神経回路を中心とした、神経薬理、行動実験の専門家です。池本先生は大学の学部からアメリカでキャリアを積まれており、私には日本人研究者というより、アメリカ人研究者という方がしっくりきます。1997年に報告された報酬系に深く関与する側坐核のドパミン受容体D1とD2同時刺激による相乗効果を証明した論文を代表に、これまでに乱用薬物と報酬系を題材とした成果や総説を多数報告されています。池本先生は報酬系に研究の軸を置きつつも、フレキシブルに研究を展開され、近年では正中縫線核と海馬による記憶の固定化を証明した論文(2015年Nature Neuroscience)、コカイン離脱後のコカインの渇望に性差があり、それが雌の性周期と重要な関わりがあることを報告した論文(2019年Biological Psychiatry)、乳頭上核のグルタミン作動性神経細胞が内側中隔核のグルタミン作動性神経細胞を介して腹側被蓋野ドパミン神経を活性化し報酬探索行動を引き起こすことを証明した論文(2021年Nature Communications)そして、内側前頭前野と視床前内側核のループ回路がドパミン神経系を介して動機や報酬行動を制御することを証明した論文(2022年Nature Communications)などを代表に、研究対象は多岐にわたり、ポスドクの興味をベースにそれを膨らませ、形にされています。先生は「昔は興味のあることを自分一人で実験して、どこぞの雑誌に発表すれば十分評価されたが、最近は雑誌の質も評価されるから大変だ」とおっしゃっていますが、内外のコラボレーションや新しい技術も精力的に取り入れ、少しでも良い結果になるよう工夫されています。

研究室には現在、Seung-Chan Lee博士とColaman Calva博士と私を合わせ3名のポスドク以上のスタッフがいて、そこにPost-Baccalaureate Fellow(ポスバク)という学部、修士を卒業したばかりの研修生がポスドクに付き、チームを組んで研究しています。このポスバクというシステム、あまり日本では馴染みがありませんが、博士課程や医学部などに進学する前に、いわゆる“箔”をつけるのに一役買っているそうです。とはいえ、多くのポスバクはモチベーションが高く優秀です。彼らは学生ではないのでこのプログラムを終了しても修士や博士の学位は得られませんが、大多数はトップレベルの大学院や医学部に進学します、さらに、2年間とはいえ中には筆頭著者の論文を発表する人もいるようです。また、彼らはトップレベルの研究に参加できるうえにNIHから給料が出ているので、日本人の私からするとなんて恵まれているのだろうと思ってしまいますが、アメリカでは院生にラボから給料が出るのが当たり前なので、ここも日本と感覚が違うようです。ポスバクは確かに優秀ではありますが、まだまだナイーブな研究者であり、懇切な指導が必要です。その点で、多くの日本の学生も勤勉さや研究に向かう真摯さを加味すれば、全く彼らに負けていないと思います。

話は逸れましたが、先にも述べたとおり、池本先生は何より研究者自身のモチベーションを重視されており、他の2人の博士はそれぞれ自分の好きなテーマを研究しています。有馬チームは光遺伝学法やファイバーフォトメトリー法などの神経科学実験手法と行動実験を組み合わせ、視床下部の乳頭上核における報酬回路およびニコチン報酬効果をテーマに研究を進めています(写真7)。

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写真7 池本先生(右)と有馬チーム、筆者は左から2番目。John Gibbons君(左)はこの夏、ドレクセル大学の大学院へ進学

研究室の1週間

池本研究室では、毎週月曜日にラボミーティングを行っており、隔週でラボメンバーが好きなこと(論文や進捗)を発表します。少人数のミーティングでアットホームな雰囲気の中、自由に議論しています。また、週1回、研究チーム別のミーティングがあり、毎週の進捗やデータのディスカッションを行います。その他、私達のチーム内でも週1回、次週の予定を話し合います。さらに、隔週木曜日にブランチミーティングという、同じ部局内の研究室が集まるミーティングがあります。池本研究室はBehavioral Neuroscience Research Branchの6つの研究室の1つで、部局長は薬物依存症と社会性行動の関わりについての研究で有名なDr. Yavin Shahamです。同じ部局ではありますが、研究室によってテーマや研究技術も大きく異なり、ミーティングはいつも刺激的です。基本的には持ち回りで研究室のポスドクやスタッフが自身の研究を発表し長めのディスカッションを行います。ミーティングの雰囲気は良いのですが、他研究室のPIやポスドクが一堂に会するので、ここでの発表はとても緊張します。その他にも、NIDAでは、毎週、内外の演者による研究・キャリアなど様々なセミナーが開催され、ポスドクやポスバクにはとても良い環境だと言えます。

池本研究室では勤務時間の設定は個人に任されており、私も当初は朝早くから夜までラボにいましたが、現在では、特にラボですることが無い時は実験が終わり次第帰宅しています。ただ、私の場合は行動実験や摂食(水)制限モデルを行っている期間は、ほぼ週7でラボに行く必要があるため、丸1日休むことはあまりありません。ですが、自由にスケジュールを決められるので、勤務形態に関して特にストレスを感じません。一方、NIDAの周りの人を見ると、朝は早い人もいますが、大体は8–9時頃に来て、夕方5時頃にはほとんど人がいなくなります。週末は行動実験をしている人がちらほらいる程度でほとんど人はいません。私は人のいない静かなラボが好きなので、集中できる週末は特に仕事が捗ります。NIDAに来て思うのは、日本ではとにかく仕事量が多いのと無駄に職場にいる時間が長いように思います。また、日本では祝日がとても多いので、働いている時間はそれほど差が無いようですが、無理な勤務形態で働いているので、祝日が多くともそれを回復できず日々ストレスが溜まっていくのではないかと思います。この辺は、働き方改革やコロナで在宅ワークが一般的になり、日本の仕事のあり方も変わってくるのではないかと期待しています。

留学の転機

ここで、私が池本研究室へ留学した経緯について紹介します。前職の研究室の状況が変わり、次のポジションを考えるうえで国内移動か海外への留学を考えました。私は、研究者に長期留学は必須ではないと考えていますが、留学で得られるかもしれないメリットやチャンスを期待して留学することにしました。前所属での島根大学医学部解剖学講座では、故安井幸彦教授、横田茂文准教授の下、神経トレーサーと免疫組織化学を併用した神経形態学的な解析を行っていました。さらに、安井教授の後進は睡眠・覚醒の研究で有名なハーバード大学のDr. Clifford B. Saperの研究室に留学する流れがありました。私も当初は留学するならばDr. Saperのところへ行くんだろうなと漠然と考えており、横田先生に相談した所、ちょうど独立したDr. Kaurがポスドクを探しているという話を紹介していただきました。渡りに船だとは思いましたが、留学して帰ってくる場所があるわけでもないので、ここで、大学院生時代に法医学教室で興味を持った、依存性薬物の研究に挑戦してみようと思い立ちました。この時点では、分野を転向するということだけしか頭になかったので、院生時代にお世話になった、アルコール依存研究をしていらっしゃる、吉本寛司教授(広島工業大学)に相談したり、SfNで知り合いになった依存症に関わる研究をしているアメリカのポスドクと連絡を取るなどして留学先を探し始めました。幸いにも吉本先生を通じて連絡を取った池本先生とSkypeでお話して、受け入れを承諾していただけました。今思えば神経科学の研究歴の浅い私をよく受け入れていただけたと思います。受け入れ先が決まってからは、池本先生にご指導いただきながらいくつかの留学助成金に応募しました。私は当時博士号を取得して4年目で、これ以上遅れると応募できる申請先が減ってしまい、本当にギリギリのタイミングでした。有難いことに2か所から留学助成の採択の内定をいただき、先進医薬研究振興財団の助成を受け留学することができました。留学を決めてから1年未満という短い準備期間で留学できたのは、運が良かったことと、周りのサポートや助言をいただけた御陰だと思います。

コロナ禍での留学

現在、ほぼ制限なしに研究をすることが可能となりましたが、私が渡米した2020年3月6日は、ちょうどアジアでコロナが蔓延し始めた時期でした。本当にアメリカに行けるのかドキドキしましたが、何とか飛行機に乗り込みアメリカに入国しました。しかし、私は日本から来たということで非公式ではありましたが、部局トップのDr. Shamanの判断で2週間、自宅で様子を見ようということになりました。その2週間のうちに何とNIHがロックダウンし、研究開始手続きも終わらないまま、そこから丸6ヶ月間自宅待機となりました。さすがに、この期間は先行き不透明ということで不安や焦燥がありました。しかし、自分だけのことではないですし、制限が解除されるのを待つしかないので、健康維持と研究開始するための準備をするなどして毎日を過ごしました。

この時期に留学を開始していた方は、私も含め、異国の地で帰国することもできないので大きな影響があったと思います。一方で、池本先生にロードバイクに誘って頂き、未経験ながらも挑戦しました。コロナでのロックダウン中の最盛期には週に2–3回ほど乗っていました。池本先生は、かなりのスポーツマンでいらっしゃって、毎日欠かさずトレーニングをされており、週末にはロードバイクで100 kmほど走り抜けるなど、強靭な体力の持ち主です(同僚は修行僧のようだと言っていました)(写真8)。私は池本先生についていくのに精一杯ですが、風を切って、アメリカの田舎道を走り抜けるのはとても爽快で、心身ともにリフレッシュできます(写真9)。それもあり、かなりの強度の運動をすることが習慣となり、お蔭様まで、毎日ジョギング、ロードバイクと健康を保つことができました。また、奥様の和子様のご厚意でよく食事に誘っていただき、コロナ制限であちこち出歩けない分、池本先生ご夫妻にアメリカでの生活のことなど色々なお話を伺うことができました。和子様も結婚を機に日本からアメリカに移住され、4人の子育てをしながらご自宅でピアノ教室を開かれ、地域の音楽教師コミュニティーの主催など、とてもバイタリティ溢れる活動をされています。お二人とも異国の地で活躍されているので、お話を伺いながらとても刺激をいただいています(写真10)。幸いなことに、渡米6ヵ月後の8月から本格的に実験をスタートすることができ、今に至ります。アメリカ(NIH)の研究システムや研究室の雰囲気に慣れるのには少し時間がかかりましたが、今は楽しく研究を遂行することができています。改めて、自宅待機の6ヶ月間は本当に苦しい時期でしたが、今このようにして普通に実験ができていることにとても感謝しています。今後このようなことが二度と起こらないことを切に願っています。

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写真8 ロードバイクに乗る池本先生、最近グラベルロードバイクも本格的に始められたとか

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写真9 ラボメンバーとのロードバイク、筆者は2番目

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写真10 池本先生ご自宅でのラボパーティ、筆者は左から2番目、右側に池本御夫妻と愛犬のルルさん

留学を考えている方へ

先にも述べましたが、私は研究者に長期留学が必須だとは思いません。確かに海外で大きなプロジェクトを達成しようとするには長期留学は必要かと思います。しかし、現状で日本研究界のポジション事情はかなり厳しいと思われます。現在テニュアを持っているのであれば、それを捨ててまで得られる対価があるかどうかは微妙な所です。留学したからといって良い業績が出る保証はなく、次のポジションが保証されているわけでもありません。日本のポジションを維持したまま、必要に応じて人的交流や技術の習得のため短期留学をする方が良い場合もあります。ですが、実際には日本の多くの教授やPIには留学中に大きな仕事、あるいはそれに繋がるものを得て帰国され、日本で更に飛躍されている先生が多くおられます。また、日々の生活面では、私はアメリカでは日本で感じるような日々のストレスや、閉塞感はありません。池本研究室/NIDAの自由で独立した雰囲気がそうさせているのだと思います。もちろん漠然とした将来の不安はどこにいてもありますが、自分の時間や家族との時間を多く持つことができます。日本では業務、研究、教育と忙殺されていた方も留学すると研究に集中できる上、見聞を広めつつ、ゆっくりと自分の研究やキャリアについて見つめ直す時間ができるかもしれません。若いのであれば、思い切って長期で、また職を持っていても短期で海外留学することで、今後の研究生活にアクセントを付けることができると思います。まだ留学をされていない方はぜひ、自分に合った留学のスタイルを模索されることを強くお勧めいたします。

アメリカから見た日本

日本は海外に比べて若手研究者の独立への道が少なく、独立できなければ自分の思い通りに研究を続けていくのが難しいとされています。また、日本では研究者は教授にならないといけない、独立しなければいけないという風潮が強く、実際に研究者として安定しているのは一部の独立を成し遂げた研究者だけのように見受けられます。一方で、一度独立に成功すると、よほどのことがない限り研究室が無くなるということはなく、そういった面では行くところまで行けば安定すると言えます。一方、アメリカでは、確かに、競争が激しいものの若手は独立する機会も多く、頻繁にアシスタントプロフェッサーの募集広告が回ってきます。また、独立せずとも研究者として生きていく方法や研究のバックグラウンドを生かして企業等で活躍する機会があります。アメリカでは博士課程、ポスドクを経てからでも、多くの選択肢があるので、博士課程に進むことは日本のようにネガティブに捉えられません。アメリカにいる日本人ポスドクにアメリカと日本どちらが良いかという質問を投げかけると、アメリカで研究を続けたいという声が結構あります。競争は激しいものの、研究環境、待遇どれをとっても日本よりは良いということです。今後の日本は、教授や超卓越した研究者でなくても、きちんと生活できる安定したポジションを増やし、研究者を目指し、日本で研究を続けたいと思われるような環境整備をしていかなければと強く思います。また、海外に永住して活躍する日本人研究者が増えることを、頭脳の流出などと揶揄されますが、私としては海外に日本人PIや研究者が増えれば、日本と海外とのネットワークが増え、日本人の留学のハードルも下がり、人的、技術的な交流も増えると考えます。結果として日本の科学技術の水準の向上にもつながると考えます。とにもかくにも、日本に多くの人が研究者として生きていける環境を整え、留学して研鑽を積もうと考える若手を応援していく流れを作っていかなければと強く思います。

最後に

私が今こうしてアメリカで研究留学を続けていられるのも、家族を含め、たくさんの方々のサポートなくしてはあり得ませんでした。池本 聡先生、奥様の和子様とご家族、そして池本研究室のメンバー。留学する際にお世話になった吉本寛司教授、博士課程指導教官の長尾正崇教授(広島大学)また、前職の島根大学の藤谷昌司教授、大谷 浩教授(当時)、横田茂文准教授。また神経解剖学への道に引き入れて下さった故安井幸彦教授、その他、多くの方にご助言ご助力いただいて今に至っております。この場をお借りして心より感謝申し上げます。最後に、留学記の執筆機会を与えてくださいました、等 誠司教授(滋賀医科大学)、山岸 覚准教授(浜松医科大学)、海外留学を支援して下さいました先進医薬研究振興財団に厚く御礼申し上げます。

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